ジアンニ
おもに短編小説を読んでいます。 このマガジンは、読後の印象が深かった作品の あらすじと感想を載せています。
8枚/400字 スーパーの出入り口で家主に会った。家主は八十歳を越えた女性で、息子夫婦と孫とで、このすぐ先にあるビルの最上階に暮らしている。 私とチャーリーは家主の住む下の階の四階を借りているので、家主のおばあさんに軽くあいさつをした。 おばあさんは自分の自転車に、米袋を積んでいるところだった。 「あら、おひさしぶりねえ」 目を細めて、私たちにあいさつ
33枚/400字 【あらすじ】 劇場で催されたコンサートへ僕は行く。 芸術には無縁なこの街に、一人のマエストロが熱狂を持ち込む。 曲が終わるたびに、マエストロ・指揮者は盛んな喝采を受ける。聴衆は皆感動を抑え消れずに興奮している。 泣いている婦人、痙攣を起こした娘などで、劇場内はますます狂気の体であふれかえった。僕はそんなバカ騒ぎに加わるつもりはないのだが、そんな僕の冷静さゆえ、僕に罪の意識さえ生じさせてくるのだ
大きな地震が来る前に、九州か沖縄のあたりに引越しをしようと考え、はるばる下見に行った。 チャーリーと遊覧船のようなフェリーに乗っている。デッキに出て外を見る。そよ風は海の匂いをたっぷり含んでいる。もしかしたら、噴火している桜島が見えるのではないかと、遠くに目を凝らす。でも、それらしき島は見当たらない。 甲板は広い。チャーリーの姿は見えない。気の向くまま、デッキで散策でもしているのだろう。 この辺りの島でも陸地にでもいいから、借りて住めるような物件が出ていないだろうか
チャーリーが帰宅する前に、私は街へ出かけた。最寄りの駅から私鉄に乗った。乗り込んだ電車はがら空きで、座席は半分も埋まっていない。 途中駅に停車したところで、私は顔を捻って外を見た。 線路より一段下、梅の木がまばらに生えている畑に猿が一匹いるのが見えた。私は驚いて、近くに腰かけている少年に教えようと、口を開きかけた。 少年は私の言いたいことを瞬時に理解し、教えるより先に〝知ってるよ〟という素振りを示した。 私は少々がっかりし、再び外へ目を転じた。すると猿が増えている
半世紀も昔の話である。やっさんは漁港に程近い、砂浜の掘っ立て小屋に、独りで暮らしていた。年齢は5、60代だったかと思われる。骨太の、いかつい体には筋肉が無駄なく付き、茶褐色に日焼けした顔面には、幾筋もの深いしわが刻まれていた。 浜で地引き網を引く手伝いをして得たという魚を持って、やっさんはなんのきっかけでか、海からさほど離れていない我が家に出入りするようになった。 「おうっ、今朝はアジが、うんとかかったぞ」 私の家族は12人もいたので、毎日のように届く山ほどの魚は
私は観光地にいる。チャーリーと、近所に住む六十歳になったばかりの道子さんと三人いっしょだ。 観光ホテルの一階は土産品を売るコーナーと、入浴施設に二分されていた。私はチャーリーと土産物売り場に向かった。道子さんはフロント近くのソファに深く腰をかけ、スリッパの足をぶらぶらさせながら、私たちをにこやかな顔で見ていた。 商品はあふれ返るほどあって、目の高さよりもずっと上のほうにまで飾られていて、どこから見たらいいのかわからないほどだ。チャーリーと、はぐれてしまったら、彼を探し出
私は集団生活をしている。同年代の人が多い。そして私は忙しくてたまらない。坂の途中に点在する建物の間を行き来しながら、ようやくの休憩に入れる準備をいそいそと始めていた。 私の小部屋がある坂の上の建物へ行こうとしたら、探していたものが、目と鼻の先に転がっているのに気づいた。靴に取り付けて重心の反復変化を使い、楽に移動できる板だ。さっそく左足の靴にはめてみた。靴底に当ててバネを倒せばいいのだ。長さは30センチに満たない板である。と、そのとき、私のすぐ近くに女の人が倒れているのが
ふと、私はちびた鉛筆に手をかざした。するとその鉛筆が宙に浮いた。私の手は、ワシの爪のような形を作っている。鉛筆は手のひらから二、三センチの隙間を作って離れ、浮遊している。ぴったりとくっつきもせず、離れもせず、超伝導のように、といったぐあいだ。 私は自分でも驚き、横にいる野口さんに声をかけた。野口さんも目をみはり、その向こうにいる女性も、驚きが感染したふうに声を上げた。私もなぜこんなことが急にできてしまうのか分からなかったので、自分自身、感嘆しながら鉛筆をあやつっていた。
私の乗った電車は駅に入ってきた。止まってドアが開き、私はホームに降り立つ。線路の向かいには丘陵が迫っていた。改札へはホーム中央の階段を上っていかなければならなかった。降りた位置は列車の最後尾に近くて、改札口からはいちばん遠く離れているようだった。近くの車両からは、十人ほどが下車しただろうか。午後も遅い時刻のローカル鉄道の田舎駅であった。 周辺を見渡しても、人家以外は目につかない駅だ。と、ホームに降りた私の近くにいる人たちが、改札へ通じる階段のほうへではなく、逆の方向へと
海の近くに家を持っていた。生活には不便な所なので、たまにしか行かない。ハナちゃんが金を貸してくれて、建てた家だけれど、チャーリーが仕事に失敗してしまったから、ハナちゃんへの金銭の返済はずっと滞ったままである。 私とチャーリーは二人、ひさしぶりにその海の家へ来ていた。家の東側と南側は海に敷地が接していて、埋立地なので海面には波がなくて、コンクリートで固められた敷地の端から下をのぞき込むと、10メートルほど下に海がゆれている。防護柵も防護壁も何もないから、強風でも吹けば海際
蚊の羽音に幾度か目覚めた。目覚めたといっても、夢うつつに近い状態だった。とにかく、早くどこかへ行ってしまわないものかと、羽音に耳をそばだてたりした。 夢見の最中だったようにも思われた。なのに蚊は、ウーンとうなって私を起こしにかかるのだ。いよいよ夢のなかにまで、蚊が押し入ってきそうになった。だから私は、夢の端っこのほうで足踏みせざるを得なかった。 と、顔の産毛がかすかにさやいだ。意識を現実のほうへ傾けると、軽微な重みが皮膚を圧しているように感じられた。おもむろに手のひらを
六歳の女の子がどこで手に入れたのか、梨を包む紙を持っている。紙は薄くて艶があり、表面はかなり滑らかにできている。色は、濃いめの緑である。 女の子は二丁目の、誰もいない公園のブランコに腰を掛け、鼻歌を歌いながら緑色の紙を折り始める。ブランコを揺する回数がしだいに減ってきたのに合わせ、両足をしっかり地面に着けた。立ち上がって右手を高く掲げる。指先に緑の紙飛行機が挟まれている。今まさに、空へ飛び立っていこうとするところだ。 宙を舞い、公園を一周し、女の子の手が届かない高い木の