はじめての完敗
小学生の頃、私はマンガを描いていた。ノートにコマ割りして、いちおうストーリーもあった。全て鉛筆書きだった。
その頃のライバルは幼稚園から一緒だった幼馴染で、一緒にらくがきをして遊んでいた延長線上で描き始めたのだと思う。小学校に上がっても同じクラスで、学級新聞に交替で四コマ漫画を出していたが、正直に言って、彼のほうが上手かった。絵の出来映えは同じ……というか二人とも同じキャラクターを共用していたので絵柄では判別できないくらい似ていたけれども、ギャグにセンスを感じた。
それでも彼は私にとってライバルだった。彼よりも面白いネタがいつか下りて来ると思っていたし、ノートに何ページも続くようなストーリー漫画なら自分のほうが描けていると思っていた。(もっとも、当時好きだった漫画のパクりと継ぎ接ぎでしかなく、オリジナリティがあったかどうかは疑問だけれども)
ある時、幼馴染が「ものすごく絵の上手いやつがいる」というので、隣のクラスの学級新聞を見せてもらいに行った。衝撃的だった。同じ四コマなのに、絵のクオリティも密度も段違いで、自分たちの絵など所詮らくがきでしかなく、マンガとはこういうものを言うのだと思った。誰が書いたのか、と尋ねて教えてもらった。それがS君だった。
S君は意外に近所だったので、幼馴染の家に集まり、三人で絵を描いて遊んだ。幼馴染にとって絵は遊びの一つでしかなかったから、他のことをしようと誘っても、S君は絵を選んだ。徐々に溝ができて、三人揃うことは無くなってしまったけれども、私はよくS君の家に遊びにいって一緒に絵を描いていた。
幼馴染がサッカーに夢中になっていた頃、S君は長編ストーリー漫画に取り掛かっている、と私に打ち明けてくれた。ノート一冊以上になるだろう、と。完成したら最初に見せてくれると約束した。
私は途中でも何でも書けたぶんはすぐ人に見せたのだが、S君は引っ込み思案な性格で、おそらく完璧主義なところもあったのだろう。途中でいいから見せて、と頼んでも断られてしまった。
果たして、S君の初長編漫画は完成した。ノートにストーリー漫画を描くという点ではある意味先輩だった私は、どれどれ、と読み始めて愕然とした。
「これ、もうプロじゃん……」
それは本物のマンガだった。鉛筆書きだったけれども、ペン入れと墨入れをしたらコロコロやボンボンに載っていても何らおかしくないと思えた。このレベルに到達するためにはどれだけの努力が必要なのだろう、いや、もしかしたら、努力だけでは到達しえない場所に彼は立っているのではないか。こんなの自分には描けっこない……。
私はマンガを描かなくなった。幼馴染と一緒にサッカークラブに入ってボールを追いかけ、必殺シュートを練習した。S君の漫画は時々、廊下に張り出された学級新聞で見かけたが、彼とも疎遠になってしまった。彼のおじいさんが亡くなって、小学校卒業と同時に引っ越したと後になって知るくらいに。
S君はその後も漫画を描き続けたのだろうか。彼ほどの才能があっても挫折を味わったりしたのだろうか。それとも、子供時代のただの遊びとして埋没していったのだろうか。終わりの知れない物語を私たちはたくさん抱えている。