ピエロはもういない

 かつてその町では、顔を黒塗りにした黒ピエロが流行っていた。ブームの火付け役は誰か、きっかけは何だったか、誰も覚えていない。

 ともかく、町の広場では顔を黒くしたピエロたちが大道芸を披露し、風船で動物を作り、子供たちに飴を配って、ポップコーンとレモネードを売った。誰もが笑顔だった。

 やがてそれは差別的な表現だという考えがどこからともなくやって来て、黒ピエロは数週間のうちに消えてしまった。たった一人を除いて。

 一人だけ残った黒ピエロは毎日のように広場でパントマイムを披露した。しかしもう誰も笑顔にはならない。遠巻きにして、無視して、子供らを近付けまいとした。冷笑され、侮辱され、暴力にさらされた。それでも彼はパントマイムを止めなかった。きっと何か政治的な主張があるのだろう、と人々は見做すようになり、メディアの取材もあったが、彼は一言も口にせずパントマイムを続けるのだった。

 ついに政府は差別的表現禁止法を施行して、その翌日に、一人残った黒ピエロは逮捕された。衆目の中、パトカーに押し込まれようとした彼はするりと逃れ、たん、たん、たんと軽快なリズムでパトカーを駆け上がる。突然の行動に警官のみならず、人々も目を見張った。

 何をするつもりなのか。ついに何かを語るのか――固唾をのむ一瞬の後、黒ピエロは両手両脚を広げて思いっきりおどけたポーズを取った。

 最初に子供が吹き出した。つられて母親も笑ったが、慌てて口をつぐんで周囲に目をやる。しかし笑ったのはその母子だけではなかった。ポップコーンが弾けるように、わっ、と広場は笑いに包まれる。彼を非難した者も、暴力を振るった者も、警官さえも笑った。

 ほんの一時、広場はかつてのように笑顔で溢れた。ただ一人、目に涙を滲ませた最後の黒ピエロを除いて。

 こうして、町からピエロは姿を消した。黒ピエロに続いて白塗りのピエロも素肌のピエロも消えていった。人々は今も広場へ集うが、もうピエロなどという不道徳な言葉を口にする者はいない。それを寂しく思うのは、ベンチの隅に腰かけた老人だけである。

〈完〉

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