【不妊治療】こんなこと思っちゃいけないのかも知れないけれど(胚移植)
3日後は2度目の胚移植。
正直に言うと怖い。
こんなこと言ってはいけないと思う。
多くの批判を受けるだろう。
卵が採れて受精できて成長できて…贅沢すぎる悩みだとは分かっている。
今まで痛みや苦しみに耐えながらも子どもを望んで治療を進めてきた。
妊娠出来なかった周期はすごく落ち込んだ。
不妊治療休憩期間は焦った。
しかし私の心に今浮かぶのは妊娠してしまうかもしれないという恐怖。
不妊治療をしていてこんな気持ちになる人なんていないだろう。
怖い理由は子育てが途中辞退ができないことだからだ。
妊娠でき、無事出産できたとしたら子どもが巣立つまで20年程度は責任をもって育てないといけない。
他のことであれば途中辞退したとしても自分が不利益を被るだけ。
しかし子育てはどんなに苦しくても途中辞退は絶対に許されない。
子どもが私のことを受け入れられないかもしれないし、私が子どもを受け入れられないかもしれない。
幸せにしてあげられるだろうか。(〝あげる”という表現もおこがましいが…)
そんな大役…責任私に務まるのだろうか。
私の友人は4年不妊治療の末、重度の知的障害児を産んだ。
出産から3年ほど経つが彼女と旦那さんはとても苦しそうに見える。
ただ、彼女たちは前を向いて懸命に戦っている。
私は彼女たちの立場になった場合、前を向いて戦うことが出来るだろうか。
私自身も自分を責めるだろう、そして旦那も子どもを望んだ私を責めるかもしれない。
金銭的にも苦しくなるだろう。
障がいだけじゃない、引きこもりになったりいじめられたり。
妊娠してもいない今の段階から不安になるのはおかしいのかもしれない。
ただ、授かってから〝辞めた”はできない。
辞めるなら胚移植前の今しかないのだ。
前回、判定日に妊娠出来ていなかったのは悲しかったが
心のどこかで「まだ子どもを幸せにする為の準備期間がある」と安心していた自分もいる。
世の中の親をしている方はどうやって折り合いをつけたのだろうか。
私がどこかずれているのかも知れない。
心の準備が出来ていないのに親になっても良いのだろうか。
〝産んだら育てる“そんなの当たり前のことなのかもしれないが責任重大だ。
しかし今書きながら冷静に考えた。
順風満帆な人生なんてあるのだろうか。
私でさえ過去にいじめ経験はあるし10年以上過食症で苦しんでいる。
母の重圧に耐えられない日もあった。
ただ、それでも私はとても幸せだと言えるし沢山の愛を与えてくれた両親には心の底から感謝している。
産んでくれて育ててくれたこと本当にありがたいと思っている。
流産を経験した友人に「障がいを持つ子どもを産むことが怖い」と相談したことがある。
友人は「怖がっていたら何も手に入れることはできない」と言ってくれた。
そうなのだ。
何かを得ようとするとある程度のリスクは受け入れる必要があるのだ。
怖がっていたら何も手に入れることはできない。
子どもを望む気持ちはエゴなのかもしれない。
もしかすると子どもを望んだ自分を責めることがあるんじゃないかと恐ろしくもなる。
もしかしたら上手く子育てが出来ないかもしれない。
だが、自信満々な親なんているのだろうか。
それでも親たちは親を懸命に続けている。
自分がしっかりやれるのかわからないから恐ろしくて仕方がない。
こんなこと言ってはいけないのかもしれないけど正直な気持ちだ。
ただ、今これだけは言える。
子どもを愛したい。
この気持ちを持って胚移植に挑もう。
怖い気持ちはどうやってもぬぐうことは出来ない。
だけど今の、産まれてくる子どもを愛したい気持ちだけは嘘偽りはない。