迫りくる優生思想の復興~データ化された人類の行方~
1.デザイナーベビーについて
皆さんデザイナー・ベイビーという言葉は知っているだろうか。端的に言えば遺伝子組み換え赤ちゃんということだ。朝日新聞による解説を参照すると以下の通りのものになる。
受精卵の段階で遺伝子を操作するなどして、外見や知力、体力など、親の希望をかなえた形で生まれる赤ちゃん。卵子と精子を体外で受精させる体外受精が1978年に可能になったことで現実味を帯びた。日本でも、特定の病気を持っていないか、受精卵の遺伝子を調べる着床前診断はすでに行われている。さらに遺伝子解析が進めば、「赤ちゃんのデザイン」も可能になると考えられている。ただ、生命を商品のように扱う考え方には、倫理的な批判が強い。
(2013-10-20 朝日新聞 朝刊 1総合)
出典 朝日新聞掲載「キーワード」について
さてこのようなワードを取り上げたのは中国でデザイナーベビーが誕生したとの報道がなされたからである。以下の記事にこの遺伝子操作の是非について詳しく載っているので、ぜひとも読んでいただきたい。
だが今回この問題に対する私の提示する論点は、デザイナー・ベビーの倫理的観点ではない。これが新たな人間のスタンダードになることは不可避であり、今後進んでいく技術革新が人間に及ぼすこれからのポスト・モダンとなる過程を述べていきたい。
(過去の記事でも少し取り扱っているので興味があれば一読いただければ幸いである。)https://note.mu/gonnta/n/nc224212df806
2.人間至上主義の時代としての現代
「神は死んだ」これはニーチェの言葉である。この言葉が生まれた時代19世紀は科学技術が進歩し、従来のキリスト神学的道徳価値観が力を失っていく時代であった。その中でもはや従来のキリスト教的価値観は、人々を先導するパワーは中世ほどなくなり新たな価値観が求められていたのである。今の時代はその延長線上にある。
現代では神よりも人そのものを尊ぶ。人の命や自由は何よりも優先されるべきである。これを人間至上主義と呼ぶ。人々は己の命を永遠のものに、かつて神に祈った豊穣や天候を自らの力で達成しようとしている。科学技術の進歩は日進月歩である。スマートフォン等私たちの生活に大きな影響を与える電子機器などを見れば一目瞭然である。そして、人類はついに自らを神にとって代わる「万能」を手に入れようとするまでに至っている。
しかし、神の死んだ19世紀から現代に至るまで主導的立場にある人間至上主義は今黄昏を迎えつつある。
3.人間至上主義からデータ至上主義へ
進み続ける科学技術はインターネットをはじめとしたハイテク技術を生み出し、人間の生活を大きく変えた。その矛先はついに人間そのものへ向きだしつつある。ヒトのゲノムの全塩基配列を2003年のヒトゲノム計画の完遂によって解明し、人間は自らに対する理解を大幅に深めた。更に2015年4月、中国で世界初のヒト受精卵の遺伝子操作が行われたと発表された。2018年には実際に遺伝子操作を行った乳児を作り出したと発表し、物議を引き起こした。この実験自体は信憑性に難があり、確実に成功したとは断言できない。だが、人間の遺伝子操作も現実的問題として台頭しつつあることは否定できない。日本やアメリカ、イギリスでは胚に対する遺伝子操作は条件付きで認めているが、子宮に戻し実際に人間を作ることは規制している。国際世論も倫理的問題からこの遺伝子操作を行った人間を作ることには否定的だ。
しかし、この流れは確実に変わるだろう。個人や国家の中でこの規制や批判を掻い潜り、より良い人間を作ろうとする者が必ず出てくる。裕福な親が子により良い人生を歩むように高額な費用を払って遺伝子操作を行うことは必ず起きる。また、北朝鮮のような独裁国家は人権を軽視してでも優秀な人間を作り出し、他国より抜きん出ようと必ずするだろう。核兵器を自国の発展を引き換えにしてでも作り出す国が、人権に考慮して遺伝子操作をした人間を作り出すことに躊躇を覚えるとは到底思えない。このような状況になればなし崩し的に他国が追従する可能性は非常に高いだろう。実際に遺伝子操作を行われた人間の優位性を現実で示された場合、その魔力に抗しきれるほど人間は理性的ではないのだ。
この先に待ち受ける世界は、人間の個性という抽象的なものをデータというより具体的なものへ置き換わるデータ至上主義だ。優秀な遺伝子複数持つ優秀人種とナチュラルな遺伝子を持つ劣等人種に区分けされる。そして、この差異は病気に対する耐性、知性、身体能力、様々なものによって如実に現れる。これは新たな優生思想といっても過言ではないだろう。かつてナチスが優秀たるゲルマン民族を科学的に証明し、他民族と線引きしようとしたものとさして変わらない。そこにはより明確な差異として遺伝子の操作があることを除いてはだが。
3.最後に
この予想はあくまでも素人の私の考えに過ぎない。しかし、この潮流に対しての指摘は様々な有識者が触れている。科学も進歩に進歩を重ね人間の自由意志と思われていた行動原理についても原理を解明し、操作の可能性を見出しつつある。人間至上主義として構築された現代から見るとまさにSFのようなディストピアにみえるだろう。しかし、私たちの暮らすこの現代を「神の時代」に暮らした中世の人々から見たらどうなるだろうか。彼らからすれば絶対的嚮導者である神の不在は、ディストピアであるに違いない。このように倫理観の変化は決して悪いものではない。違う価値観に対して、拒否感を持ってしまうのは現状に対する固執があるからだ。かといって来るポストモダン、データ至上主義に対して何も考えないわけにはいかない。これか人間の遺伝子操作を是か非かという議論が行われ活発になっていくであろう。その着地点を待たずにおそらく遺伝子操作を行う人・国家は必ず台頭する。その時我々はどのようにすればいいのだろうか。現実的問題として直面するのはそう遠くない未来に私は思える。あなたはどう考えるであろうか。
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