【プロレス・今日の出来事】11月3日
『1986年の猪木VS武藤』
1986年11月3日 新日・後楽園ホール
「猪木・ケビンVS木村・武藤」
この日の猪木もまた、狂気じみていた。そして、怒っていた…。
当初発表されたカードは「武藤VSケビン、藤波・木村VS前田・藤原のIWGPタッグ戦」であった。ところが、10・9ニールセン戦の後遺症から前田が欠場。IWGPタッグ戦が消滅し、藤波VS木村戦が突如浮上、さらに藤波も欠場となったことで、今後ライバルになりそうな予感がするケビン武藤、そして猪木武藤の初対決など見所はあったものの、シリーズ最終戦というエンディングにも次期シリーズ・タッグリーグ戦の予告にもなり得ず、連続ドラマとしての面白さはない、まるで"残り物で作る晩御飯レシピ"のようなその日限りのカードになってしまった。
試合は、猪木が武藤に対して鉄拳攻撃を始めたあたりから突然荒れ始めた。ケビンが父親譲りのプロレスセンスと鉄の爪でさらに武藤の額を攻めたてる。武藤の額はついに流血、代わった猪木に必死に食い下がる。木村がかつて付き人であった武藤をかばうように何度かリングに入るものの、猪木は手を緩めることなく鉄拳攻撃は止むことがなかった…。
「もう、俺なんかにおぶさっている時なんかじゃないんだ…俺だって、いつまでも奇跡は起こせない!」
猪木は怒っていた。今後、新日を背負うはずの藤波、前田、木村、武藤に…。いや、違う。
ここからは仮説。
この2日前、11月1日全日本プロレスのリングでは元横綱・輪島がデビューし、それはマスコミから注目を浴び世間の話題となっていた。
猪木が怒っていたのはその試合…それは輪島個人や全日本、馬場ではなく、その試合に注目した世の中に怒っていたのではないのか…。その一か月前に行われた世界的ボクサーとの異種格闘技戦は凡戦に終わったこともあり、ゴールデンタイムで中継されたものの、さして話題になることもなく世間に届いたとはいえなかった。
それがなぜ…
元横綱というだけで世間は注目してしまうんだ
俺たちのプロレスはもっと激しい
俺たちの過激なプロレスを見てみろ
シンよ
お前は俺との試合を忘れたのか
あの狂気はどこに行ってしまった
お前は牙を持っていたはずじゃないのか
武藤
お前は悔しくないのか
ルックスだってプロレスだって
遥かにお前の方が恰好いい
何よりもお前には若さがある
俺にまだ
その若さと体力があれば…
それは、自分の老いに対する怒りもあったのかも知れない。
武藤はこの時、狂気という猪木の毒の洗礼を浴びた。
1994年5月1日・福岡ドーム。
武藤は、ムタというもう一つの狂気の人格に成りきることで猪木の毒に呑まれることなく、逆に毒霧を浴びせた。
だが、天才と言われた武藤でさえ、たった一人の人格で究極のベビーフェイスにもヒールにもなった"猪木"になることは、ついに出来なかった。
『1986年の猪木VS武藤』END