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【プロレス夢物語】『1990年のBI砲』

 1990年、プロレス界は激動の時代を迎えていた。

 2月 新日本プロレス・東京ドーム大会に全日本参加
 4月 WWF・全日・新日三団体合同興行「日米レスリングサミット」開催
 5月 新団体SWS設立、全日新日から多数の選手が移籍

 前年、坂口征二が新日本プロレスの社長に就任…さらに新団体SWSという、"共通の敵"が現れたことで、全日本プロレスと新日本プロレスの"壁"が崩れたのである。
 そして…四天王、三銃士という新世代が台頭し、新しい風が吹き始めていた…。

 その夏、WWF・全日・新日三団体合同興行「第2回日米レスリングサミット」が、馬場、猪木のデビュー30周年にあたる9月30日、東京ドームで開催されることが発表された。馬場・猪木VSホーガン・アンドレ、あるいは鶴田VSホーガン…。すべてのプロレスファンが、それぞれの夢のカードを考えそれに酔っていた。

 ところが…。WWFのビンス・マクマホンJr.は、新団体SWSと提携し日本進出の足掛かりをつかんだことで、一方的に契約破棄を突き付けてきたのである。
 六本木・全日本プロレス事務所。ひときわ体の大きい…"社長"が、葉巻を一口吹かし電話の受話器を手にした。
(なめるな、若造…アンタのオヤジともビジネスをしていた、このショーへイ・ババを)
 やはり体の大きい、もう一人の"社長"は、興奮した時につい出てしまう九州なまりを交えそれに応えた。
「やっちゃりましょう…馬場さん!」
もう一人の"社長"…坂口率いる新日本プロレスも、ビンスには度々苦汁をなめさせられてきていたのだ。
「2月のドームの恩は、決して忘れてません…ビンスに一泡吹かせてやりましょう!」

 そして…馬場、猪木、坂口が同席する記者会見で、9月30日の東京ドーム大会は全日・新日合同興行になり、ジャイアント馬場&アントニオ猪木デビュー30周年記念大会として行われることが改めて発表された…。

※マッチメイク・ルール
・実際の両団体の9・30出場者に限る。WWF、SWS、UWFなど他団体契約選手は出場不可
・藤波は怪我からの復帰戦により、エキシビジョンマッチ・5分一本勝負のみ

あくまで一例として、オレのカードは…

馬場・猪木VSアンドレ・ハンセン
三沢・川田VS橋本・蝶野
鶴田VS藤波(※藤波復帰戦エキシビジョンマッチ・5分一本勝負)
ムタVS田上
小橋・エースVSベイダー・ビガロ
キッド・スミスVS馳・健介

長州、斎藤、木村、木戸、ライガー、ブッチャー、シン、マレンコ兄弟…まだまだ夢のカードはありそうですがキリがないので、あとは読んだ方それぞれの妄想にお任せします…。あと、BI対決はオレの中のモトコ夫人が、ストップを掛けてきたので実現に至りませんでした。

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