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【プロレス小説】『その男、藤原につき』①

 パキスタン・カラチ。
 12月といえども気温は30℃近くなる。じわりと滲む汗は、その暑さからではなかった。リング上では、師と慕う"あの人"と"英雄"といわれる地元レスラーとの死闘が繰り広げられていた。
 グラウンドの攻防になる。"あの人"が腕を取り、リストロックが極まる。"英雄"が、苦悶の表情を浮かべる。だが"英雄"は、そのプライドのためか決してタップしようとしない。"あの人"の眼が妖しく光り、狂気が宿る。何かを叫んでいた。

  折るぞ…と聞こえた

 "あの人"の顔が一瞬のうちに、時折見せる鬼の形相へと変わってゆく。

  "あの人"は何に怒り
  何がそんなに哀しいのだろう

 "あの人"が一層力を込め、さらに捻り上げた。めったに聞くことのない、本能的に不快な音が肚の底に響いた。"英雄"の腕から力が抜け、だらりと垂れ下がる。レフリーが試合を止めた。

  折ったぞ…!

 "あの人"が眼に狂気を宿したまま、雄たけびを上げた。"英雄"側のセコンドがリングになだれ込む。"英雄"の不様な姿に激昂した観客が罵声を浴びせ、一斉に立ち上がる。怒号が響き、今にも押し寄せようとする。無意識にリングに駈け上がり、両手を拡げ"あの人"の前に立ちはだかった。

  撃たれる…

 リングを取り囲む兵士たちが、客席へ銃を向ける。あたりが静寂に包まれ、一瞬時間が止まった…ような気がした。

  オレは…ここで死ぬのか
  それでもいい…
  猪木のためなら…死ねる!

 その男…藤原につき

ーーー

 その男に、華やかな光は似合わなかった。"上"で試合をしたのは数えるほどだ。誰にも注目されていない影…"前座"こそが、自分の居場所だと思っていた…。

 元々、"あの人"のようなスターになれるとは思ってはいなかった。両親が作っていた農作物のような顔をしているのは自覚していたし、生来の吃音のためうまく喋ることさえ出来ない。
 それでも、時折やってくる道場破りや未知の選手とのスパーリングの際には、必ず声が掛かった。いざという時に"あの人"の盾になり守る。そのために"神様"といわれる外国人レスラーに自ら志願して指導も受けた。ひたすら練習して強くなる。それだけがプロレスラーとしての矜持であり、存在意義であった。

 1983年、夏。
 スーパーヒーローと言われたマスクマンが引退した。弟弟子でもあり、一緒に練習してきた仲間が去ることに寂しさはあったが、人は人…スターゆえ、天才ゆえの苦悩があったのだろう。
 その頃から、会社にいやな空気が漂いはじめた。だが、そんな話に興味はなく、慕って来る若い衆の二人…マエダとタカダと、ただ練習する日々だった。

『その男、藤原につき』つづく

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