【池辺晋一郎】今日行ったコンサートの感想:令和04年(2022年)01月26日(水)【邦楽器による現代作品】
「沙」-笙と太鼓のために(1990)
笙の笛は意外と合竹をやらず一竹を主に使っていた。笙の管を順次進行で登って行ったりして、出て来る音形は意外と単純。しかしソからド♯に増4度跳躍するなど、現代洋楽的要素も見受けられた。太鼓は最初、膜を撫でていたのだろうか、とても小さな音でザラザラと聞こえていた。その後、景気良く叩き始めるのだが、ノれなかった。太鼓があるとどうしてもビートを期待してしまうのだが、現代音楽なのでその欲求が満たされることは無い。
「空のために地のために」-琵琶とチェロのために(1985)
チェロの楽譜がiPadで、ペダルでページをめくっていた。薩摩琵琶は音色だけで満足してしまい、どこまでが伝統でどこからが前衛か、ということが不勉強で分からなかった。撥で絃を擦る音など、緊張感がある。チェロとの掛け合いも見事。チェロは高音域でポルタメントをニューニューやっていたり、低音域から重音奏法で駆け上がったりと恰好良い。擦絃楽器の重音奏法好きなんですよ。右手は弓で弾きながら左手でピッツィカートをするなど、難易度も高そう。
「悲」-龍笛とアルトフルートのために(1989)
龍笛の雅楽らしさを雅楽外で認識した。ヴィシネグラツキーやハーバとは関連が無いが、微分音程による揺れが龍笛の出自を誇る。責と和の行き来も情緒をもたらす。アルトフルートは低音から激しい階段を経てトップノートに至る。アルトフルートももっとムラ息で吹いてくれたら、一体感が出たんじゃないかと、僭越ながら思いました。
「凍る」-箏のために(1977)
同じ記譜を異なる調絃で弾くための2章。古典箏曲の調絃である雲井調子に、近付くのが第1章、離れて行くのが第2章。冒頭からずっと猛烈な勢いで「押し手」で絃をグイグイ押していた。楽想よりもその演奏する見た目に圧倒されてしまった。柱の左側もザリザリと弾く。池辺さんが言っていた「凍り付かせよう」が「効率化せよ」に聞こえて、それでも違和感無く意味が通ってしまったので気付かなかった。
「音楽」-箏と詩の交錯(1973)
15の詩、20の記譜、8つの調絃の組み合わせからなる実験音楽。まず始めに箏の柱の位置が異常で、一筋縄では行かないぞという異彩を放っている。演奏序盤で柱が弾け飛ぶというアクシデントがあったが、落ち着いて替えの柱をセットしていて貫禄があった。曲も中盤、半数の柱を同じ位置にズラし、それらが全てレになるというのでも驚いたが、残りの柱を倒し、更に全ての柱を倒して、尚もアルペッジョなどをし、更には絃面を両手で叩くという、前衛ぶりを披露した。奏者による詩の具現化は、地唄のような箇所から朗読のような箇所まで様々あり、これもまた70年代現代邦楽の光を見た。
「紡ぐ」-二十絃箏のために(1971)
なんと奏者が吉村七重。びっくり。「池辺さん、難しいわよ」の言葉通り、難しい。楽想も難しい。二十絃箏が出来たての頃の曲だが、いきなり調絃が無調。後の三木稔の『日本楽器法』にはダイアトニックな調絃が載っていたので、随分攻めた70年代現代邦楽だなと思った。遅れ馳せながら知ったのですが、野坂操壽さん、お亡くなりになってたんですね。知りませんでした。井上道義指揮の伊福部昭「協奏四題」のコンサートを聴きに行ったことがありました。初演者による『交響的エグログ』を生で聴きました。
「雫が……」-尺八、2面の箏と十七絃のために(1978)
池辺さんの5歳位の思い出、軒先から滴る雨露が夕日の光を浴びてキラリと光るのをずっと見ていた、という話が面白かった。箏のフラジョレットを「笛音」と言うそうです。発想が洋の東西で一緒。私の座っていた席のド真ん前に置かれた十七絃箏がデカい。柱も普通の十三絃箏よりデカい。基本的に無調なのだが、制御されない雨粒がポタポタと滴っている様と思えば、調性という統率が無い方が相応しいのかも知れない。調絃が無調なので、柱の右を弾こうが左を弾こうが、どちらもザラザラと無調のアルペッジョが鳴る。独奏尺八が素晴らしかった。激しい無調的階段も難無く登り切り、コロコロとトリルが唸る。個人的な感想ですが、尺八のパートを書くときにはもっと尺八らしくしようと思いました。邦楽器で洋楽やってるだけ、ホルン四声体の代用、というのは脱しなければいけないなあと思いました。