まりあちゃんの友達
真夜中に鳴り出した。
低く闇に添うように静かに、でも耳障りには違いない。
眠れないままに布団の中に潜っていた私は、すぐにその音に気づいたけれど、どこから聞こえてくるのか、何の音なのか分からなかった。じっと耳を澄まし、音のありかを探る。聞いたことのある音だけど、思い出せない。
いつまでもやまない音に少し苛立ち、布団をはねのけるとはっきりとすぐ近くに聞こえてきた。
チリリリリィチリリリリィチリリリリィ・・
あ、電話だ。
おばあちゃんちの黒電話の呼び出し音だ。
おばあちゃんが亡くなってからずっと空き家のままだった離れに、今年から私が住むことになった。8畳ほどの部屋にキッチンとお風呂とトイレ付。完璧な隠れ家。でも、両親が住む実家の敷地内。
少しリフォームして、新しいベッドとテーブルとソファを入れたけれど、電話はそのままだったらしい。スマホがあるから使うこともないし、その存在そのものを忘れていたけれど、
小さな電話台に置かれた黒電話は、部屋の隅にひっそりとなりを潜めていた。
それが急に蘇って、主張するかのように鳴り出した。暗がりに慣れた目は、はっきりと黒い電話を見つけることができる。それはまさに過去からやってきた特別な生き物のように感じた。そっとベッドを降りて、気づかれることを恐れるかのようにそろりと近づく。
それがおばあちゃんちにあることは知っていたし、それが何であるかも知っていたけれど、はじめて触る黒い物体。
こんな真夜中に誰が掛けてきたのだろうか。私にかかってくるわけもなく、間違い電話に違いないと思うけれど、すでにかなりの時間なり続けている。
やまない。やむ兆しもない。出るまでやまないらしい。意を決して黒い受話器を持ち上げた。
カチッ。
初めての感触。意外と重い。
耳に当てて、相手の言葉を待った。
「・・」
相手も様子を伺っているようで、何もいわない。でも、気配は感じる。そっと声を出す。
「もしもし」
向こう側の誰かが一瞬息をのんで、
「よかった。ごめんね。こんなに遅くに。でもこの時間じゃないと、あなた も出られないと思って。その後、どお?」
一気にまくしたてられた。
私は一息吐いて応える。
「どちらにお掛けですか? 間違い電話のようですよ」
「そんなことありませんよ。まりあちゃんでしょ」
「え」
まりあはおばあちゃんの名前だった。おばあちゃんにかかってきた電話ということらしい。
「まりあは私の祖母です。祖母は、・」
言いかける私の言葉は無視された。
「ほらね、まりあちゃんの声だ。でも元気がないわね。大丈夫?」
「いえ、だから」
「あ、ごめんなさい。誰か来たみたいだから、また電話するわね。まりあちゃん元気出すのよ。いいわね。くよくよ考えちゃ損ですよ」
チンッ。
「あ、え、」
一方的に言って電話は切れた。
また電話するって、いったい誰?
おばあちゃんの友達のようではあるけれど、若やいだ声だった。いくつくらいの人だろう。
次の日、母に聞いた。
「おばあちゃんの友達みたいな人から電話がかかってきたよ」
「どうしてあなたの電話番号が分かったのかしらね」
「スマホじゃないよ。黒電話」
「黒電話?」
「うん」
「まだ、あったかしら」
「あったよ。昔のまんま」
「そう」
「うん。また電話するって」
「おばあちゃんが亡くなったことちゃんと言ってね」
「うん」
「何年経ったかしらね」
ママは不思議そうに何かを考えている様子だった。
おばあちゃんが亡くなったのは小学生になったばかりの頃だった。物心ついた時からいつもそばにいたおばあちゃんがストンと消えた。突然に遮断されたようで悲しくて悲しくてたまらなかったけれど、時間がおばあちゃんとの懐かしい思い出を記憶の奥に隠してしまった。すでに15年近く経っている。
数日後に電話はかかってきた。
「まりあちゃん、変わりない? ごめんね。なかなか電話できなくて」
「いえ。あのお名前を聞いてもいいですか」
「声でわかるでしょ」
「あ、いえ。すみません。祖母のことですが、」
「それよりね、元気になった? この間の声は元気がなかったから心配してたのよ」
え、それよりって、何?
「大丈夫? 元気なの? 困ってない?」
立て続けに聞かれ、つい
「大丈夫です」
答えてしまった。
「よかった」
本当に安心したようだ。
「じゃ、またね」
切れた。
それからも、何度もまりあちゃんを心配する電話がかかってきた。
いつも、
「大丈夫だよ」って応えると安心したように切れる。
度重なるとまるで私のことを心配してくれているように感じた。おばあちゃんのことを伝えようと何度か試みたけれど、いつのまにかそれはどうでもよくなった。まりあちゃんの友達の声がおばあちゃんの懐かしい声のような気がして次第に心待ちにするようになった。
それなのに、もうかかってこない。
ママが黒電話の秘密を暴いたからだ。
「あの電話はおばあちゃんが亡くなった時に解約したから、つながってないと思うのよね」
思い出したように、ついでのように、さらりと言ってのけた。
誰なのか、分からないけれどまりあちゃんの優しい友達。これまでだってずっと電話をかけていたのかもしれない。応えることのなかった15年間。
ずっと心配してくれていたのかもしれないのに、ママのせいで、電話がかかってこなくなった。
電話番号、聞いとけばよかった。
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