ライブ。 ※躁鬱病
暖かい雰囲気のおかげで、いいライブができた。でも、変わらず人との会話が難しいと感じる。やはり、うまくできない。へらへらしてるだけ、笑ってるだけ。というのも、前した会話が思い出せない。同じこと聞いたかなー。となってしまったり、前も聞いたかなー。となって、言葉が出なかったり、自分がどこにいるのか、自分の宣伝、自信のない自分が、ずっといるんだ。あんなにも、自信があった自分がいたのに。このギャップがやはり僕を苦しめるのか。
シンプルに知識が少ない。そう思って悩んだことも何度もあるし、覚えようと思って、一生懸命聞いてるが、その5分後にはなんだったかなー。と。忘れてる。と、自分が虚しくなる。強く何か言われたら。そんなことくらい分かれ。と、言われたら惨めになる。その場では笑っているが。
人の名前。できごと。普通だったらわかる会話の流れ。これは、変わらないことなのか。そういう人です。だけでは、やっていけない。
なんだろう。僕はぱっと見そういうのを、覚えている人間に見える、と、思ってる自分がどこかにいる。こんな場所でしか言えないが、何かそういう感覚がある。でも、中身はポンコツだ。でも、根の根はポンコツじゃないと、思っている。
ありがとうございます。という言葉に、甘えているのか。ありがとうございます。という言葉は好きだ。そればかりじゃ会話にならない。
自分が小さくなってるだけの、ありがとうございます。でしかないとも思う。
人ってなんだろう。仲良くなれば礼儀も忘れ。気分によって喧嘩したり、完璧な人間なんていないと、分かりながらも。
昔、人生が言葉において、全て吐き出したと、考えたことがある。シチュエーションによっても意味が変わるが。僕のボキャブラリーが、もともと少ないのか。ただ、言葉とだけ捉えてそう思ったのか、僕にも分からないが、すごく冷めた自分がいた。ただ、ループしてると。人生って、ループしてると。凹んだ人がいたら、励まして、悪い人こそいいこと言ってたり、そんなこと、一人で考えるから、答えがないことを、考えるから悩むんだろうけど。考える自分が、そこにいるのは、確かだ。とか。ネガティブにではなく、そんなこと、考えるのが、どこか好きな自分もいるし、そんな自分いらないとも思う。そんなこと考えるのは人間だけだろうな、とか。結局は、そういう話は盛り上がるわけでもなく、自分の中に答えも出ず。ただ、ぼんやりとして、終わる。
考えなくていいこと。それが、世の中には必要ないこと。うまく世の中のために、人のためになれば、いいのになぁ。
すみません。お酒も飲んで、なんか残ってる吐き出したことないこと、ただ、思ったこと文章にしてます。
変わってるんだろうな。そして、自分で思う、こんなことめっちゃ話してくるやついても、面白くないと。。。
楽しいが1番。頭では分かってる。
人。について、考えすぎると、動物になりたいなぁとか思う。
人に産まれた自分。もちろん、人に産まれてよかったとも思う。
はっきりしない自分。そんな自分がいるからなのか、こうあるべきだ。とか、強く言えない。強く言ってた時期もある。そして、お金が絡んでくる。全人類が、なにもかもみんな手に入れた世界。それも違うのも分かる。努力して手にした結果は素晴らしい。努力して、叶わないものもある。
僕は、両方考えて捉えてしまう癖がある。それによって会話が、その人がなにを言いたいのかが素直に分からないのかもしれない。
最近は、ネガティブな方に賛同してしまっていると思う。自分がネガティブだから。
ポジティブ過ぎても、また、違うし、ポジティブな方が好きだし、そうありたいとは、思う。ネガティブで、それが個性になってる人もいる。
僕はなんなんだろう。
死ぬまでわからないか。
おやすみすみなさい。
まとまりのない文章すみません。