gomitoriki

見せてもええかなという日記だけこちらに

gomitoriki

見せてもええかなという日記だけこちらに

最近の記事

提示することと提示しないことは両立しうるのか(編集中)

最近バーッと考えていることを、なんとか言語化したいなーと思っててー。しかし結構ずっと抽象的な話だ。 僕らに常に付きまとう問題がふたつある。 “どのようにしてそうするのか”、“なぜそうするのか”という問題だ。前者はほとんどの場合、自分の具体性を外に出す手法や技術を問うもので、後者は、既に外に出ている自分の抽象性を、逆に内側に向かって問うものだ。例えばそれは、なぜ展示するのかということから始まり、なぜ表現するのか、なぜ言語化するのか、といったように進み、かなり内に迫ったところま

    • 日記 2023.

      もう既に終わっているんだけど、終わっていないように感じているものってのは結構ある。あー、今思えばあの時終わってたんだな、というような。 その残り香だけを嗅ぎ続ける。残り香ってのは、終わった後は全然違う香りになっているのだけど、それに気が付かない。そういうとき、その匂い自体ではなくて、何かが匂うというぼんやりしたものを追いかけていたのだと気がつく。 追いかけていたものじゃなくて、追いかけていることへと目的がスライドしていることに気がつく。 こういうのって全然ネガティブな終

      • 来年度に向けて

        作品を作るとは、自分の作風をなんとか時代の中にカテゴライズすることなのだろうか。 京芸の制作展、精華の卒展を見て、共通の感想を抱いた。そしてこれは来年以降も続くであろうことが予想される。 このまえこのnoteにて、今年の京芸の制作展、全然ウザくなくてつまらん。みたいなことを書いた訳だが、精華大学の卒展を見て、だんだん冗談めいた言い方が出来なくなってきた。割と危機感を持ってこれに挑まざるを得なくなってきたわけだ。 すごく簡単に言うと、作品と作者の距離が遠く、自分の作品のカ

        • 作品展について。

          学生でありながら複雑な理由により、ピュアな鑑賞者として今年の制作展に挑むことになってしまいました。この沓掛キャンパス最後の制作展だし、同期の卒業制作展でもある今年の展示は、どうしても少しばかりは感慨深いものになってしまう。 まずこの京都市立芸術大学の制作展は、というかどこの大学でもそうだけど、毎度のように「美術展覧会」として見るべきか「作品展」として見るべきかという迷いを抱えたまま見て回ることになる。まあ全学年、全専攻の作品が一挙に並んでいるので仕方ないのだけど、そのふたつ

          オレたちにとってのかわいい

          僕らはあらゆるものをかわいいなと思える感性を持っている。そしてその時々によって含む意味合いも少しずつ異なる。レトリックとして分けるが、女性と男性でも結構そのニュアンスが違っていると思う。 僕はかわいいものが好きだ。しかしそれが人に言えるようになったのはかなり最近のことで、それは間違いなく僕が男であるという自意識が邪魔していたからだ。 そこで、一男性であるオレ、ひいてはオレたちが感じているかわいいものに対する感覚を、僕の拙い言語化能力を駆使して書き起こしてみたい。きっと共感し

          オレたちにとってのかわいい

          カービィのかわいさと僕らの危ういもの

          カービィはかわいいよね。1番好きなキャラクターを聞かれたらカービィと答えるくらいカービィが好きだ。 みんなもカービィ好きだと思う。だけど、カービィのかわいさをしっかり説明できる人ってあんまりいないと思う。 というわけで、カービィがかわいい秘密と、そこに隠されてる僕らの感情について話していきたい。 カービィの表情 カービィって単純に造形や顔とかがかわいいわけじゃない。あんな感じにまん丸で目と口がついてるデザインなんていくらでも考えうるし、世の中にはもっとかわいいデザイン

          カービィのかわいさと僕らの危ういもの

          テロリズム的、沈黙交易的

          沈黙交易的なものについて最近考えることが多いので、最近その関連の本を注文していて今日届いた。毎度のように、いつの間にかポストに入っていた形でその本を受け取ることが出来たのだが、これもまさに沈黙交易に他ならないわけだ。 その本はまだ数ページしか目を通していないのだが、その本に関係なく書けることがあるなと思ったので書いておく。とまあそんな意気込みをしたが、全然日記の域を出るものにはならないだろう。 というのは、今日bondeeというアプリを友人に勧められたのでインストールして

          テロリズム的、沈黙交易的