2023.9.21

持たざる者が、持たざるが故に持ちうる優位性というのがある。それは、持つ者に対する盾や矛として機能し、それのお陰で持たざる者は持たざる者として保たれていたりする。持つものは、それに対して介入できない。どう寄り添おうと近づいても、その武器を全て奪ってしまう動きになる。持つ者が持たざる者と関わるためには、持たざる者と同じ境遇になるか、持たざる者が持つ優位性を理解し、恵まれたバカとしてやっていくしかない。

持つ者の心持ちとしては、持たざる者に許しを乞うてはならず、決して許されることは無い後ろめたさを常に抱えながら生きていかねばならない。そうしなければ、持つ者と持たざる者は本当の意味で関わっていけないような構造になっているのだ。人間関係ってのは別にその二項対立だけでは無いので、全然他に希望を見出していけばよいが、自分のキモさみたいなものは一切ないものとしてやっていかねばならぬわけだ。もしくは受け入れつつ。

持つ者の優位性は、あまり自覚されない。これが持つ者のキモさだし、持たざる者が付け入る隙でもある。しかし、自覚したところでどうにもならないのがこの最低な構造である。これはただの嘆きでしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?