日記 2023.9.8 素朴?

今日、とある人のところに奥村と行ってきた。
僕の中高の同級生で、大人しいなんてもんじゃなく、休み時間中ずっと突っ伏しているような子で、口なんて6年間で片手におさまるほどしかきいたことがないようなやつだ。こうへいくんという名前で、色々あって彼の実家にお邪魔してきた。

ダイニングテーブルに座り、こうへいくんと僕、奥村と、両親も囲んで5人で座って話をしていた。まあ、色んな話をしたと思うが、全て表面的な話でほぼ覚えていない。よく言えば素朴、悪く言えば、一般家庭のロールモデルに収まりきっていて、多数派のヒトを背後に思わざるを得ない、そんな家庭。僕がそこに行ったのは、ほぼこうへいくんのセラピーをするためであったが、彼と付き合うならばこの家族3人と付き合っていかねばならないと思うような、それほど納まりきった集団であった。

ぼくは少し前から、臨床美術に興味があり、自分に向いているし問題意識にも密着しているので、いい仕事かもなと思っていたが、全然やる気がなくなった。もう少し自分のことに集中しようと思った。思ったより個人であった自分に対してもう少し向き合おうと思った。

僕が臨床美術によって人々に得られるだろうと思惑していた理想像が、あの家族のような構図だったのなら、いや、その素朴さが保たれるためのものならば、美術鑑賞で足りているのではないか。ああはなりたくないが、あのような姿が脅かされるのは良くないのではないか。しかしあれを素朴だから良いとするのは、搾取になるのか。ある種の搾取は認める立場だが、何を良しとするかを少し方向づけねばならないなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?