ポケモン中古ROM革命!?ハズレROM活用法を現役ガッチャマンが徹底解説!
真の答えは醜き灰より出る
フェルマーの最終定理は、中学生でさえ問題を理解できるような簡素な見た目にも関わらず、360年もの間だれも解決することができなかった、数学史上名高い問題である。数多の天才数学者が生涯を定理の証明に捧げたが、フェルマーの亡霊はそれを3世紀にわたって嘲笑い続けた。その呪縛を解き放ったのは、アンドリュー・ワイルズという孤独な数学者であった。彼は谷山・志村予想という、当時は画期的な予想を証明することに成功し、フェルマーの最終定理を攻略した。
ワイルズははじめ、岩澤理論を使った証明を進めていたが、行き詰まりを感じたため、コリヴァギン=フラッハ法を軸としたアプローチに切り替えた。学会にも姿を現さず、屋根裏部屋で極秘に研究を行なっていたため、神童とまで呼ばれたワイルズは、何かしらの理由で数学界から姿を消したものだとさえ思われていた。
7年の孤独な研究の歳月を経て、ついにワイルズは世界に向かって、フェルマーの最終定理を証明したことを宣言する。360年の謎を解いた天才として、ワイルズはその名を歴史に刻む扉の目の前までたどり着いた。
しかし、フェルマーはまだ食い下がった。論文の審査において、ワイルズの証明中にある欠陥が存在していることが判明する。それははじめ、直ちに修復可能な小さな綻びであるように思えた。だがやがて、それは取るに足らない小さな穴などではなく、コリヴァギン=フラッハ法の核心をついた、証明全体を台無しにし得るほどの深淵であることを、ワイルズは理解させられた。
ワイルズは1年間も証明の復活のために戦ったが、奮闘むなしく成果をあげることはできなかった。数学界からは、審査員以外には極秘にされていた論文を公開するよう、批難めいた声があがるようになっており、ワイルズは幼い頃から夢として追いかけていた、フェルマーの最終定理を証明するという栄誉を、他人の手に委ねる覚悟を迫られていた。
しかし、数学の女神はワイルズを見放しはしなかった。失意と絶望の中のある日、ワイルズがいつものように公園を散歩していると、突然証明を修復するための答えが空から降ってきた。
「なんだ、こんな簡単なことだったのか。どうして自分は気がつかなかったのだろう。」ワイルズはそう呟くと、すぐさまメモ帳にアイデアの概要を書き出した。一瞬でも目を離してしまえば、その隙に母親がどこかへ消えてしまうような気がして、ぎゅっと手を握りしめる子供のように。
ワイルズを救ったのは、一度は捨ててしまった岩澤理論であった。これを使えば、コリヴァギン=フラッハ法の穴を埋めて、証明を完全に復活させることができる。ワイルズは今度こそフェルマーの最終定理に勝利した。
コリヴァギン=フラッハの灰の中から、不死鳥のごとく真の答えが立ち上がったのだった。
中古ROMドリーマー
えーっと前置きが長くなったけど、近頃始めた伝説ポケモンの色違い厳選と、久しぶりに中古ROMガチャの話をする。
ROMガチャは以前ほど頻繁にはやっていないものの、ブックオフに立ち寄って安く買える機会があれば、運試しのような感覚でついついROMを買ってしまう。
最近はそれほどめぼしい当たりは出ていないけど、20THミュウやハイリンク産アルセウスといった、今では入手不可能でレアな個体をゲットできた。
ガチャという行為には人間の欲望を搔き立てる魔力が宿っていて、実況者の動画を見ていて珍しいポケモンが出てくると、自分のことのようにうれしくなるのが不思議だ。たとえ自分でなくても、ソフトに眠っていた希少なポケモンを発掘するのは、隠された埋蔵金を探し当てるような高揚感をもたらしてくれる。
友人がROMガチャをやったら、なんとディアンシー・トウホクジラーチ・映画館ダークライを引き当てたという報告がきた。最後の配布が2015年のディアンシーはもとより、トウホクジラーチは地域限定配布の色違いだから、正規であれば超ド級の大当たりである。
このようにROMガチャには夢が詰まっているが、Switchに移行したソード・シールド以降はROMにデータが保存されないため、後世の人々は中古ROMガチャができなくなってしまう。数年後には世界に現存する中古ROMは、僕のようなROMガチャ戦士たちによって買い占められ、やがて絶滅してしまうであろう。そう考えると、ROMガチャドリームが現実の世界から消えてしまうまえに、今のうちにROMガチャをやっておくべきだ、という言い訳をしながら、中古ソフトに手を出している今日この頃である。
中古ROMの良いところばかりを語っているけれど、現実には外れの方が多い。前も書いたけど、だいたい5本に1本当たりが出れば良い方だ。要するに、基本的には割に合わない投機であることを理解しておかなければ、無駄に同じソフトを何本も購入する狂気じみた行為に他ならない。いくら宝くじより当選確率が高いと言っても、ROMガチャは当たったところで1銭のお金にもならない。
ROMガチャは外れるものである、という基本認識は持っていても、やはり外れを引くと残念な気持ちを隠せない。いくら安く買っても、600円を払って何も得られないガチャが続くと、だんだんあほらしくなるのも事実である。
そこでやめてしまえば良いのだけど、恋がそうであるようにROMガチャの魔法もなかなか解けてくれないもので、未練がましくブックオフへ足を運び、その結果誘惑に勝てず次のガチャを回してしまう。
そうなると考えなくてはならないのは、外れROMからいかに搾り取るか、という工夫である。マギアナを入手することや、伝説をポケモンホームで色違いと交換することは、以前の記事で紹介した。しかし、今回は新たに、殿堂入りさえ果たしているROMであれば、サン・ムーンに関してはまだまだ搾り取れるものがあることが判明したので、それを紹介する。
ハズレROM活用のヒント
きっかけは、ラティアスの色違い厳選だった。
僕は「水の都」を観に行って以来、色違いラティアスが欲しくて、1か月ほど暇を見つけてはORASで南の孤島に立てこもって、ぽちぽちと色厳選を続けていた。そしてついに、念願の色ラティアスをゲットすることができた。
色違い厳選のやり方はいくつかあるけれど、伝説に関しては過去作のシンボル・エンカウント方式が手っ取り早く楽だと思う。剣盾のダイマックス・アドベンチャーの方が光る確率は高いけれど、周回時間も含めればかかる時間はさほど変わらないし、いちいち考えて技を選び操作するのは割と面倒だ。
その点、シンボル・エンカウントであれば、色違いが出るまでリセマラを続けるだけなので、完全なる作業である。頭を使う要素は微塵も存在しないので、ちょっとした隙間時間で試行回数を稼ぐことができる。
そうは言っても、今から過去作を1から進めるのは、正直なところあまり気が乗らない作業である。そこで僕は、外れだと思っていたオメガルビーのROMを引っ張り出してきて、ラティアスに出会うために必要な「むげんのチケット」が存在していることを確認すると、ORASにおいて厳選を開始することにした。そのROMは幸運にも、殿堂入り直前で終わっていたので、捕獲部隊の育成にもさほど時間はかからなかった。
そんなわけで、当初は利用価値のないように思われた中古ROMも、何かしらの使い道を見出すことができるのでは?という仮説が生まれた。ラティアスとデオキシスを回収してそれなりに搾り取ったROMだが、まだ伝説のポケモンとほとんど出会っていないことがわかったので、今後は伝説の色違いを粘るのに使うことができる。今はレシラム厳選の準備を進めている。
ハズレROM再生工場
購入した直後は幻のポケモンがおらず外れ判定を下したオメガルビーも、いまや僕にとっては非常に価値のあるROMとなっている。当たりを引いて喜ぶのは、誰でもできる。しかし、外れを当たりに変える能力がなければ、ROMガチャは金持ちの道楽以上のものにはなりえない。
かつて、野村再生工場と呼ばれ、「あいつはもう終わった」と評価された選手の数々を復活へと導いた名将=野村克也のごとく、現有戦力の中に埃をかぶって埋もれているお宝を掘り出してこそ、真のROMガチャ戦士である。誰もが見向きもしないような外れの中から当たりを生み出すことができなければ、ガッチャマンの風上にもおけない。
まあ、お金さえあればいくらでも次々と新らしい中古ROM(形容矛盾だな)を買うことができるんだけど、失業中のクソニートにはそんな余裕がないので、なけなしの1800円で買ったORASのROMから、吸えるものは可能な限りちゅうちゅうと吸い取ろうというわけなんだけどね。
大量の中古サン・ムーンROMに活路を見出せ!
色違いラティアスが嬉しくてついついORASの話が長くなったけど、ここからはサン・ムーンの搾取方法を紹介する。サン・ムーン単体での活用方法はまだ見出せていないのだが、ウルトラサン・ムーンがあれば、それなりに活用できる道を見つけた。
ORASと同じく、僕はUSUMにおいても、伝説の色違い厳選を行なっている。これは次の記事で書くつもりだけど、シンボル・エンカウント方式で伝説の色違い厳選を行う場合は、2台以上同時に進行するのが鉄則である。僕はORASでラティアスを粘りながら、裏ではUSUMを使ってフリーザーの厳選を行い、さらに剣盾のダイマックスアドベンチャーを回していた。
話を戻すと、過去作のシンボル・エンカウント方式では、捕獲率が低いことが最大の懸念事項である。剣盾のダイマックスアドベンチャーでは、倒してしまえば100%捕まえることができるので、逃げられるような心配はない。色違いが出るまでひたすら周回し続けるだけである。
一方で、USUM以前はたとえ色違いに出会えたとしても、捕獲に成功する前に相手のポケモンが技のPPを切らして、わるあがきによる自傷で退場されてしまうという現象に対応しなければならない。せっかく何百回何千回というリセマラを繰り返した果てに、ようやく色違いに出くわすことができたというのに、捕獲できずに逃げられてしまっては、たまったものではない。
本格的に対応しようと思えば、キノガッサやオーロットを中心に捕獲専門部隊を編成しなければならないが、色厳選を始めたばかりでまだ色伝説の味を知らない初心者が、いきなり手間暇をかけて捕獲部隊を編成するのはオススメしない。おそらく厳選の前段階で飽きてしまうだろう。そこで、より手軽な対策方法として、マスターボールの用意があげられる。
マスターボールはどんなポケモンでも必ず捕獲に成功できるという代物で、基本的にはストーリー中1個だけ入手することができるレアなボールである。しかし、その希少さゆえにどのポケモンに使うべきか決めかねて、結局ずっとバックの底に眠るのがオチ、というプレイヤーも多い。僕も色違い厳選を始めるまでは、正直なところこのボールの価値を理解できず、適当に伝説のポケモンに向かって投げていた記憶がある。
おわかりかもしれないが、このマスターボールというのは、伝説の色違い厳選においては、計り知れない価値を持っている。仮に目当てのボールで捕獲することができなかったとしても、PPが切れる直前にマスターボールで捕獲することができれば、自傷退場という最悪のケースをいとも簡単にケアすることができるのだ(いわゆるオシャボ厳選をやっている人には当てはまらないけど、ただ色違いがほしいだけならマスターボールは強力である)。
マスターボールというのは、100%保証の保険のようなものである。持っているだけで安心感が違う。
しかし、基本的には1つしか手に入らないボールなので、1度使ってしまうとそれ以降は保険がなくなってしまう。そこで、外れ中古ROMを再生する時がやってきた。
先程も言ったけど、マスターボールはだいたいバッグの底に埃を被って埋没している。ということはですね、外れ中古ROMにもマスターボールくらいは残っているのでは?という疑問が浮かぶわけで、僕はメルカリで売却することを考えていた10数本のサン・ムーンのROMを起動して、マスタボールが残っていないか確認してみた。
貧乏ガッチャマンの仮説、埋もれたマスボ、それからオシャボ。
すると、予想通り結構な数のマスターボールを確保することに成功した。やったね。だいたい5個くらいは回収できそうだ。それでも貧乏ガッチャマンは満足しない。まだ使えるものが残っていないか入念に確認したところ、多くのROMでムーンボールなどのオシャレボールが未使用で残っていることを確認した。
オシャレボールというのは、マスターボールとは違った意味で入手が非常に困難で、その名の通りお洒落なエフェクトが一部のマニアに好まれている。たとえば、月と関わりが深いピッピにはやっぱりムーンボールが似合うよね、という話。ボールにこだわりを持たないプレイヤーも多いけど、貴重な伝説の色違いをオシャボに入れているというだけで、わかる人には「こいつまじか」と尊敬の目で見られることになる、かもしれない。
話がそれたけど、僕はもはや用済みとなって売却寸前となっていた中古ROMに活路を見出し、外れ判定のROMからさえ搾取する手段を編み出すことに成功した。地味に思われるかもしれないけれど、マスターボールやオシャボを集めるのは相当に時間のかかる作業であって、外れROMによってその時間を短縮することができると思えば、600円払った元まではとれなくても、まったく無駄金だったとは思わなくて済むのだ。
ガッチャマンという名のクソニート
今回は現役ガッチャマンとして、外れROMからでさえ貪欲に何かを得るための方法を紹介した。もちろんこれは僕にとって有益だった方法であり、プレイスタイルや求めるものによっては、人それぞれまた違った活用法を編み出すことができるだろう。
大切なことは、今あるものを最大限活用しようとする、貪欲かつ倹約的な考え方である。外れだと決めてしまえば、それで終わりである。そこからは何も生まれない。もちろん中には完全なる外れとしか言いようのないROMだって存在する。それでも、限られた資金で購入したソフトなのだから、むざむざと投げ捨てるのは、ガッチャマンとしては失格である。
ここには必ずなにか使えるものがあるはずだ、いつか役に立つものがあるかもしれない、というブリコラージュ的感性を磨きあげることこそ、中古ROMガチャという行為から得られる最大の財産である。泣き喚きさえすれば、パパやママに何でも新しい物を買ってもらえると思っているクソガキこそ、中古ROMガチャをやるべきである。燃え尽きた灰の内からしか、永遠の生命を持つ美しき不死鳥は立ち上がらないという真理を、くだらない情操教育に代えてその身で体感させるべきである。
それにしても、ポケモンというコンテンツは本当に教育的である。中古ソフトからでさえ、プレイヤーは何かを学び取ることができるのだから。ははは。
僕の貧乏症について話したので、次回は色違い厳選かオオタニさんの話をするつもり。
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