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明日死ぬかもしれない


「私、死ぬかもしれない」


元バイト先の仲良い先輩が発した言葉だった。

仕事ができて、常にニコニコはしゃいでいる可愛くて大好きな先輩。
そんな人からとんでもない言葉が出てきたもんだから、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

今の仕事がしんどくて辞めたいという話はちらっと聞いていたけども、「そんなに!?」というのが初めの感想だった。

先輩曰く、つい先日仕事に向かっている途中で経験したことのない目眩があったらしい。

「もし、もしまたあの感覚がきたら、その時は…」と口を噤んで微笑んでいる。
何、と聞きかけて何となく辞めた瞬間、

「ごめん、私、死ぬかもしれない」

と先輩は言い放った。



「死」という言葉を日常的に聞く。
実際私も頻繁にしょうもない事で「死にてぇー」って言ってしまう。

ポロッと出た軽いものも、深く傷ついた末出たものも、どちらも色んな人から聞いてきた。
ただここまで衝撃的で長く強くこびりついたのは初めてだ。


ふと自分が退職する前のことを思い出した。

同じく仕事に向かっている途中で、同じような目眩に襲われた。
視界がぐわんぐわんと曲がって、息が詰まるあの感覚。
本当に「あ、死ぬかも」ってなる。

確かにあの感覚を複数回経験したら、「死ぬかも」の向こう側に足を踏み入れてしまうかもしれない、とか。
考えれば考えるほど、先輩の言葉が現実味を増して不安を煽る。



大体の悩み事は笑い話になってきた。
私の前職の話も、初対面の人に笑って話せるくらいどうでも良くてちっぽけな過去になる。

それでも、一歩間違えたら今ここにいなかったかもしれないわけで。
当時真剣に悩んで苦しいんだ事実がある限り、ただ「馬鹿だった」で済ませたくない。

「生きてください」「死なないでください」と咄嗟に返した自分。
嘘じゃない、素直で真っ直ぐ放っている言葉であるはずだけど、改めて考えると軽く聞こえてしまう。

先輩のキャパがどれくらいなのか、今までどれだけしんどい思いをしてきたか、私は知らない。
"その時"がいつ来るのかも分からない。
ただ実際にきてしまったとしても自分は止められないし、ほぼ100%その場に居ないのだ。
自分だけじゃなく先輩の友人、恋人、家族…誰でもそうじゃないかと思う。


テレビで行方不明になっている子供とか、通り魔に襲われて亡くなった人とか、線路に飛び込んで自殺した会社員とかニュースで取り上げられてて、

「可哀想に」
「運が悪かったんやね…」
「人に迷惑かけずに死ねよ」

色んな言葉が飛び交う中で考える。
それを言ってる人たちのうち誰かがいつか言われる側になるのではないかと。

数年後、生きてるとは限らない。
明日平和に生きてる保証もどこにもないんだ。

自分も。
自分の周りも。

この世界の全員が。


とりあえず明日の仕事はなくならないから、今日はもう寝よう。

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