これからもきっと誤魔化し続けるよ
今までのこと、全部夢であれば良かったのに。
目を覚ますと、自分はまだ今よりマシな頃の自分であって、ああ怖かった、あんな夢のようにならないようにこれからも頑張って生きようとそう思うのだ。そんな妄想をたまにする。
そうなると、マシだった頃から今までに手にしてきたものも失ってしまうことになるけれど、悲しいことに、手放すことが怖くなるほどのものなんて今の自分は持ってはいない。
もし人生をやり直せるなら、やり直したいか。
たまにそんなことを友人と話したりする。やり直したいことはあるか。戻りたい時があるか。もう一度会いたい人がいるか。
自分はあまり戻りたいとは思わない。過去に戻るってことは、それがもし2020年の春より前であるなら、あの支離滅裂で繊細で抱きしめたい季節をもう一度体験しなければいけないってことだ。残念ながら、今と違う道を選ぶってことはない。いつどの季節に戻ったって、自分は同じ選択をしてしまうだろうし、多分それでいい。手放して困るものなんてない、なんて言ったけれど嘘だった。人との出会いには感謝している。いつも話を聞いてくれる友人達に、下らない話ができるサークルの人々に。
もし、もう一度会える人がいるなら、祖母に会いたい。小さいころから同じ家で暮らしていた祖母。
大学一年の冬にいなくなった、その日のことを今でも日付まで覚えている。小さいころは何の屈託もなく接していたのに、成長するにつれて大人になった気になって、上辺の話しかできなくなってしまった。もっと感謝を伝えたかった。大学院を卒業した姿を見せたかった。初任給で、美味しいものを食べて欲しかった。小さい頃、クソババアと言ってごめんと謝りたかった。
同じ家に住んでいたこともあり、内孫の自分を祖母は特にかわいがってくれていた。優しく、時に厳しく。祖母が最後に自分のことを思い浮かべた時、それはどんな姿だったのだろう。あれから10年以上が経つけれど、今でも考えると涙が出る。
スレた厭世観を語るつもりだったのに、なんだかセンチになってしまった。家族の話に弱い。
障害を持つ弟がいる。きっと健常な人ほど、長く生きることは出来ない。年々、側弯が進む。一昨年には胃ろうの手術をした。今でも実家に帰ればニコニコしているけれど、その日がいつ来てしまうのだろうかとずっと考えている。弟のことを夢に見て、起きた時に泣いていた、なんて朝はこれまで何度もあった。
弟が、父と母がいつかいなくなった後、自分は普通でいられるのだろうか。大事なものを失くす痛みを味わうくらいなら、いっそ自分の方が、と考えていつもやめる。思春期じみたスレた態度は、実はこの歳になっても捨てきれなかった純粋さと弱さを誤魔化しているだけだということを自分は知っている。