戻れるなら戻ってみたい、「あの時」
今日はふと、高校の校舎の下駄箱の光景を思い出していた。母校の高校の下駄箱は、校門を抜け、地下への階段を降りたところにあった。どうして地下にある必要があったのだろう。
下駄箱にたどり着く前にはちょっとした空間があって、あまり使われない掲示板があったことを思い出す。有効活用される時といえば、年度初めのクラス替えの時くらいで、張り出された紙の中に自分の名前と友人の名前を探しては、一喜一憂していたっけ。なんだか甘酸っぱい出来事も思い出すような、語るつもりはないけれど。
ふと思い出したのは、部活の連中と下駄箱を掃除した記憶だ。なぜか、自主的に掃除していた。
母校は中高一貫の「自称進学校」だったので、部活動は週に活動できる日数も制限されていたし、それほど盛んではなかった。活動は週四日まで、時間も18時ぴったりまで。引退も高校二年の夏と、他の学校よりも一年も早い。おまけに設備も充実しているとは言えない。その中でも、自分の所属していた硬式テニス部は、活動日数が少ないなりに努力していたと思う。部員の人数に比してコートの数が少なかったため、週四日の活動のうち一日は完全なトレーニング日だった。恐らく部員は、学校の中でも、最もハードに活動している部活動だと自負していただろう。
練習だけではなく、規律・ルールも厳しかった。ちょっとしたことでルール違反を犯しては、よく活動停止になっていたものだ。ある時、同期が食堂でトランプで遊んでいたところを先生に注意された。それは部活としてはもちろん、学校としてもルール違反だった。
そしてどうなったか。テニス部の、うちの学年だけが二週間ほど活動停止になった。部活が好きだった自分たちにとっては、それは辛い時間だった。今となってはなんだか不思議な感覚だけれど。
ここで例の下駄箱に戻る。二週間の謹慎処分も終わりにさしかかったころ、誰かが「反省の意を示すために、下駄箱を掃除しよう!」と言い出した。面白い発想だなぁと今でも思う。13人の同期の誰もが賛同し、いそいそと放課後に下駄箱を掃除していた。放課後というあまりにも自由な時間が、なんだか今はひどく愛おしく魅力的に感じられる。かくして謹慎中のテニス部員が自主的に掃除をしている姿は顧問の目に留まり、「いい心がけだねぇ」とこちらの意図を見透かしてニマニマ笑う先生から、少し早い謹慎明けが告げられたのだった。
そんな、誰からともなく団結する、あの部活の雰囲気が好きだった。
ある時のこと。試合会場に集合し、あとは顧問の到着を待つのみとなった。ここでも誰かが、「強豪校に見えるように、整列しておいて、先生が来たら超デカい声で挨拶しようぜ!」とか言い出した。そしてまたしても、誰もが賛同した。調子の良い奴だけじゃなく、自分みたいなクソ真面目な奴から、いつも物静かな後輩に至るまで、全員で整列した。「気を付け!!おはようございます!!!!」という声が朝の河川敷に響き渡って、顧問はまたニマニマしてた。
誰に迷惑をかけるわけでもない、そういう汗臭くて爽やかで、若いノリが懐かしい。
部活に入っていなければ、自分はテニスと出会っていなかっただろうし、きっと今の自分という人間を構成しているいくつもの要素が抜け落ちていたと思う。大学では部活ではなく、世の中で悪名高い「テニスサークル」に入っていたけれど、あれはあれで人間の幅が広がったと思っている。もちろんサークルは好きだったよ。大学時代のサークルで「人間の幅が広がった」なら、中高の部活動では「自分という人間のベース」が作られたのだろう。
もし過去に戻れるとしても、きっと自分はどうやっても今と同じ道を選んでしまうだろう、と思っている。それでも戻ってみたい場所があるとすれば、あの時の空間に戻ってみたいかもしれない。