擦り切れて見えなくなっても、撮った時の気持ちを覚えてる

仕事終わり、郵便局に行く用事があった。今度の学会の参加費を払わなくては。

車社会のこの街だと郵便局に行くにも面倒で、ほとんど行っていない。車で行くことが前提の場所にあるのに、妙に街中にあるせいか、駐車場がすごく狭いのだ。もっとも、都内ほどの狭さではないのだろうけれど。

ガットを張ってもらいにショップにラケットを出した後、郵便局までのルートを探した。いまだにこの街の地理がよくわかっていない。確か2年くらい前に調べて行ったな、とカーナビの検索履歴を遡っていると、いつか行った街の住所が目に入ったので、少し苦しくなった。

元の形が分からないほど擦り切れてしまった写真であっても、その写真が何であるのかを覚えている限り、印象や記憶まで忘れることはできない。それは幸せなことだし、悲しいことだと思う。忘れられるから何度だってやり直せるのに。

履歴に残っていたのは、まだ自分が人間だった頃に訪れた場所たち。いつの間にか、人間ではなくなってしまっていたのだ、と明かされたって特に驚きはしないほどに、今の自分には人間的な何かが致命的に欠けている。

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