初めての画集と音楽
人生で初めて画集を買った。中村佑介さんのPLAY。表紙は2016年のソルファだった。この前本屋でポップを見かけた時、もしかしたら見逃していたのかも?と思ったけれど、確かにこの表紙の本はなかった。
開いた途端、紙の匂いが香る。本を買うのも久しぶりだから、なんだか懐かしい。本屋で買わなかったことを少し後悔した。大手の通信販売で本を買う行為は、本屋を潰しかねない。好きな本屋があるなら、そこで本を買ったほうが良い、とどこかで聞いたことがある。
『未だ見ぬ明日に』のジャケットって中村佑介さんからアジカンへのお別れの一枚だったと初めて知った。確かにジャケットにはそれまで描かれていた動物たちが集合していて、旅行鞄を置いた少女がシマウマに別れを告げている。後ろに待つ汽車に乗るのだろう。『ワールド ワールド ワールド』で出し切ってしまい、これ以上のアジカンにはもうついていけないかもしれない、と思ったらしい。アジカンとしても中村佑介さんとしても「出し切った」と思えるほどの一枚だったのだから、『ワールド ワールド ワールド』に自分の一番の青春を思い出す感性は正しかったのかもしれない。
青春時代からずっと聴き続けてきたアーティストが三組いる。ASIAN KUNG-FU GENERATIONとRADWIMPSとthe pillows。アジカンは小学校高学年の頃に父がハマっていて、塾の送り迎えの車の中でずっと聴かされていた。リアルタイムで聴いていたのは『ファンクラブ』からかな。NARUTOの最初の頃のオープニングに『遥か彼方』が使われて、ハガレンの最後のオープニングに『リライト』が使われたりと、その前にも知ってはいたけれど。『遥か彼方』の頃はアジカンを知らなくて、『リライト』の頃にはもう知っていたような気がする。中1で初めて最初のライブに行った。幕張メッセの酔杯。2006年の11月11日という日付まで覚えている。PS3の発売日と重なっているから、報道映像と合わせて非常に印象に残っている。それからずっと聴いてきた。ピロウズは中学校の友人に教えてもらった。前にも書いた気がするけれど、多分最初に聴いたのは『Hybrid Rainbow』か『Funny Bunny』だった。そいつは音楽に詳しかったので、自分の音楽観に相当な影響を与えている。ラッドは中学校の同級生の女の子に教えてもらった。実はもっと前に、ピロウズを教えてくれた友人にも聴かされていたのだけれど、あまりハマらなかった。ただ、初見(初聴?)で『ジェニファー山田さん』を聴かせるなよ、と今でも思う。
ライブに行ったり行かなかったりしたけれど、一番新しい曲にはずっとついてきた。けれど、今はピロウズしか聴いていない。アジカンをこれから聴くことはあるだろうけれど、これからラッドをもう聴くことはないかもしれない、と思う。
良くも悪くも、自分も大人になった。この目で見える、多くの現実を見てきた。その中で、残念ながら、ラッドの野田さんの歌う世界の中には自分の居場所はないな、と思うようになった。言い方は悪いけれど、「綺麗事」に感じてしまうようになったのだ。一種の違和感は『君の名は。』と『天気の子』で顕著になった。歌も映像もあまりにも綺麗だったけれど、自分の中の欠損を鮮明に浮き上がらせる感じがした。自分に見えている世界は、そんな風には出来ていない。反感と言い換えてもいい。青春時代から、ラッドの世界観に憧れ、いつしかそんな世界の中に自分も…という幻想があったような気がするけれど、無理だと分かってしまった。最新のアルバムは買ったけれど、それは10年前からの10曲を集めたアルバムだったから。一年ずつ、一曲ずつ聴いていって、ラッドが好きだった自分に別れを告げていたのかもしれない、と今では思う。
ピロウズは、ずっと語っているけれど、どん底から人を引っ張り上げる力があると思っている。「人生はこんなにも美しい」と語るのではなく、「人生はクソだけれど、それでも生きていこうぜ」と叫んでいる、そんなイメージ。泥中にあってこそ光る、音楽の力だと思う。絶好調の時にはもしかしたら聴かないかもしれないけれど、これからまた何度だって挫折して崩れ落ちる。その時にだって、ピロウズがある。帰ってくる場所があるんだと、大げさだけれど、そんな懐の広さを感じる。『白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター』が好きだ。
ラッドとピロウズと比べると、アジカンは一番バランス感覚を持っているように思っている。中庸。画集『PLAY』にも書いてあったけれど、『ソルファ』、『ファンクラブ』まではゴッチの内面に向いていた世界観だけれど、『ワールド ワールド ワールド』から外の世界に向き始めた。最近の曲だと『解放区』が好きだ。久しぶりのライブで見た時は最高に盛り上がっていた。リスナーに、観客に呼びかける『解放区』はアジカンの世界観が変わった一番の例かな、とか思ったりする。今は少し自分自身のバランス感覚を崩しているけれど、いつかまたバランスを取れるようになった時、アジカンに戻ってくるだろうなと思う。
一冊の画集で、自分の好きだった音楽達に思いを馳せていた。ページをめくればアジカンのアルバムと、その時期の自分自身を思い出す。
また一冊、良い本が本棚に並んだ。