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なぜラーメンのプロは化調入りラーメンを敬遠し、 我々シロウトは化調入りラーメンに惹かれるのか?

前に、ここ「化学調味料愛好会」へとアップしたコラムの後半で、

「かつて、とある著名なラーメン評論家と雑談する機会があって、そのとき、ぼくが『好き』 と主張したラーメン店のすべてを全否定された記憶がある。どの店も『化調の味が強すぎる』との理由であった。対して、そのラーメン評論家がイチ推しするラーメン店は、イザわざわざ足を運んでみたら、どの店もぶっちゃけ、イマイチ味的に物足りなかった…」

……みたいなことを書いた。しかし、念のため! ぼくは、この「とある著名なラーメン評論家」の“鋭敏すぎる舌”を八つ当たり的に、やみくもな批判をしているわけでは決してない……とだけ、今日は付け加えておこう。

まず、ラーメンとは最近こそ無化調を標榜するニューウェーブ系や新世代系のお店が増えてきたものの、長らく“美味しさ”の相当部分を化学調味料に依存してきた料理であることは紛れもない事実だったりする。はっきり言ってしまえば「いまだ化調があってこそ美味しいラーメン屋は多い」のだ。

そんななか、我々“シロウト”が食べたラーメンの杯数(※ちなみに、ぼくのラーメン頻度はせいぜい2週間に一杯くらい?)の軽く10倍、下手すりゃ100倍以上もラーメンを食べているはずのラーメン評論家が、よく似た“王道の味”をつい敬遠してしまうのも無理はない。もう一度繰り返すが、彼ら彼女らは飽きるほど毎日ラーメンを食しまくっているのだから……。ちょうど、アダルトビデオの評論家が「評論しやすい」という意味で、そこそこ可愛いアイドル系の作品よりマニアックな女優やプレイの作品を好みがちなのと同じ理屈……なのかもしれない。

いっぽうの我々“シロウト”は、たまにしか食べないがゆえ“冒険”を恐れる傾向が、どうしても強くなってしまう。しかも、プロにしか解読できないような複雑に絡み合った微妙な滋味や旨みなんぞ、シロウトにはジャッジできるはずもない。だから、我々はそこそこ可愛いアイドル系のAV女優……いや(笑)、化調で慣れ親しんだ味に仕立て上げられた、安定感に長けたラーメンをチョイスしてしまうのではなかろうか。

もちろん、どっちの姿勢、言い分が正しいか……なんて断定できるわけもなく、優劣をつけること自体もナンセンス極まりない。化調と無化調の共存こそが理想の社会──とどのつまりが「好み」と「気分」だけで然るべきときに化調へ依存したくなったら、素直に依存すればいいだけのことなんである?


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