雑記:生活を愛する
生まれたからには生きのびたい。できるだけ脅かされることなく納得のいくような人生を心身ともに健康に。それがどんなに儚くて叶わないものでも、絶望に飲み込まれることや絶望して死ぬことは不条理なこの世の流れに殺されてるみたいですごく悔しい。いつかぜんぶ終わっちゃうまでに私は私を生き抜きたい。
精神的に生き延びるには自分の軸が必要だ。見失いにくくて折れにくい、適度な柔らかさを持った太い軸。
自分自身を愛することを軸にするのは難しい。あまりに近すぎて見つめすぎるとぐらぐら不安定になる。他者を愛することを軸にするのも苦しい。愛と期待を切り離すことは容易ではなくて、他者へ向ける気持ちが大きいほどついつい期待が膨らんでいってしまう。自分のような妄想癖のある人間はなおさらだ。
「ここじゃないどこかへ行きたい」と思ってどこへ行っても自分がいる場所が「ここ」になって苦しかった。きっと「ここ」を愛せない原因が場所ではなくて自分の癖にあって、それならもうその癖をやめて今いる場所を愛することをしよう、これが最近の抱負だった。※もう妄想でどこまでも飛んでいける10代は終わった!
自分自分の身にまとうものや居住空間、日々の生活を愛すること。これは今のところ自分が生き延びるために最善の方法だと思っている。
まず、深呼吸をして目を休めてからゆっくり目を開ける。それからなるだけ自分の周りを新鮮な気持ちで見渡して、自分自身が穏やかになるように周りを整える。自分や他者そのものを愛することよりも薬としての一回の服用量の効果は薄いけれど副作用が少なくてじわじわと効く。荒んでなにも大事にしたくない気持ちのときもあるけれど、運べそうならそのように穏やかなほうへ身体を運ぶことを心掛けた。毎日続けると心の揺らぎにエネルギーを取られることが少なくなってくるような気がした。
・こんな感じで最近思っていたけれど、この前攻殻機動隊を見たりすこし哲学を勉強したりして、自分ってなんだ?って思って、自分の人格を愛することが自分を愛することだと思って生活と切り分けて考えていたけれど、生活、居住空間、記憶を愛することも自分を愛することなのかもなって思って書き留めておこうと思った。自分の自我と同じように揺らぐ他者のどこを愛しているかというと、その人のまわりに広がっていると感じる空気や価値観、記憶(その人が今までどのように身体を運んできて、それに対してどのように考えてきたのかの集積…の片鱗)なような気がする。他者のそういうところを見るとき、すとんと心が落ち着く感じがする。(懐かしさと穏やかな愛は似ている。)私はいま、自分と自分の周りの人たちの愛し方を探して身につけようとしている途中なのかもしれない。
・居住空間そのものは災害や戦争で自分の命以上に脆い可能性がある。安全で安心できる居住空間を当たり前に得られるということ、得られないということについてちゃんと考えたい。得られなくなったときにひとはどのように自分を守るか。信念、目標、記憶。民族やアイデンティティについて。
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