日記と夢日記 祈ること、忘れないこと、許すこと

 一人で部屋にいて、他愛のないメッセージのやり取りに期待してはいらだってしまって、ツイートして数分、だれからも反応のない自分の投稿に不安になって、ダメだなあと思ってスマホを置いた。疲れている。こんなふうにひとのこと考えるのはだめだ。頑張ってきたのだ。今日は。だからちゃんと癒されないと。珍しくお酒を飲んで、ヘッドホンでやさしい音楽を聴いて、それでも少しさみしくて、なんでもいいから文章を書きたいなあと思ってキーボードをたたく。ここでは反応がなくてもだいじょうぶだから安心して文章が書ける、酔っ払いのままでも。
 起きているときに泣くことはめっきりなくなったけれど、今週は夢を見て二回涙が出た。少し気持ちが参っているのかもしれないけれど、嫌な涙ではなかった。
 一回目の夢では死んだおばあちゃん、おじいちゃん、私の生まれる前に死んだおじいちゃんが出てきた。「祈ることはイスラームでは”覚えておこうと想起すること”なんだって」宗教学の授業で習ったことを私はみんなに話した。あとはよく覚えてないけど、祈るってことがすごくわかった気がする。悲しい気持ちも忘れなくてもいいんだ、祈ろうって思って、すごく久々におばあちゃんたちが近くて安心して涙が出た。
 二回目の夢では許せないと思っている人が出てきて、その人だけじゃなくて友達も周りにいて、話を聞いてくれていた。私は何もわかっていないその人に怒りが湧いて、暴言を吐こうとして、でもその時となりにいる友人への愛おしい気持ちが湧いて、笑って、その友達がなんで好きかってことを話して、それからいろんな後悔や他愛ない話をした。何もわかっていないその人はやっぱり何もわかってなさそうだったけれど、他愛ない話に混ざっていた。そしたらそれまで怒りと一緒にあった怖い気持ちが薄くなって、それなりに穏やかな気持ちになった。「(怒っていることを)言わなくてよかったの?」という友人に、「やっぱりこれは言わなくてもいいや、言っても意味のないことなんだ、だから大丈夫。もう」といった。起きたら涙が出てて、温かった。なんか本当にもういいやって思った。考えたくないと思ってもふとしたときに怒りが湧いてずっと許せなかった(マジで怒りを込めながら地面をその人だと思って踏みしめて歩いてたりした)のに、不思議とそれから穏やかな気分になって、ある種の執着が消えた気がした。時間が経つこと、眠ること、それで次の日になって、繰り返すたびに私もみんなも変わっていくって、ほんとにすごいことだなあと思った。

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