在りたい姿を探す1年にしたい
ほんと、ありがとうございます。
さて、誕生日だとか新年だとか、なんだかそういう節目には目標などを語らなければいけない空気感ってありますね。
これまではそれっぽいことを言ってみたりしていましたが、いつからか目標という存在があるからぼくは苦しんでるんだ、という気づきのタイミングがありまして、それ以降目標というものはそれほど意識せずに過ごしてきました。
新年の目標を掲げ、年末になり、それを覚えてること自体ほとんどなくて、目標を常に意識しながら1年を過ごしたことなんて、ぼくの歴史にはありません。そういう人に憧れ、真っ直ぐに駆け抜ける人生を夢見た日もありますが、なんだか向いていないようです。
プロジェクト単位で駆け抜けるのは好きですが、人生というプロジェクトは長すぎて、駆け抜けるようなペースでは少し疲れてしまいます。ほんと体力ないんで。ということで目標のない生活はなかなかに気楽なもので、結構気に入っています。
しかし、情報の溢れるこの世界では、意識高く生活をして、何者かになっていく人々のことが、どうしても目に入ってしまいます。そして、そんな人たちの目標を掲げる生き方が「正解」のように映ります。
「物語思考」という本がおもしろいのでオススメです。何者かになりたいが何になったらいいのかわからない、という人に向けた教科書のような本です。
これまで10年間野球をやってきた人なら、明日も野球をやりそうですよね。なぜなら野球ができるから。しかし、その人が実は、心の中では将来テニスプレーヤーになりたいと思っていたら。明日やるべきは野球じゃなくてテニスですよね。というこんな例え話がすごく腑に落ちています。
ばくは目標を考えず過ごしていますが、そうすると、過去やってきた「できること」の中からしか行動を起こしません。でも、ぼくが心の中で本当に在りたい姿があるのなら、明日やるべきは、ソレなんだと思います。
目標がなくゆるりゆるりと過ごしていくのか。在りたい姿に向かって着実に歩みを進めるのか。そう考えると後者がイイ気がします。
だから、まずは在りたい姿を探し、それを目標に掲げ近づくために生活をする。という感じでしょうか。結局、ゆるりゆるりと過ごす自分のことをそこまで許せていないのかもしれません。本当はもっとガツガツ生きたいのかもしれません。
31歳、この先の健康寿命がどの程度かは想像もつきませんが、この一年で在りたい姿の影くらいつかみたいというのが、あえていうなら目標です。
どんな人に憧れてるんだろう、とか、朝何時に起きて何時に寝たいんだろう、とか、どんな靴履いてどんなふうに働きたいだろう、とか。そういう妄想に1年間使えると思うと、ぼくらしいのんびりとした目標で、とてもいいなぁ思います。
31歳、これからも可能性広げて、なにかしらにトライしていきます。今後ともお世話になります!
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石本商店のメールマガジン
新潟でカレーとごまどうふの店を営む夫婦が、日々の気づきや、表じゃ書けない裏話などの「赤裸々エッセイ」を綴ります。
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