制約はアイデアの神であれ
講師として大学に出向き、キャンパスを歩いている時、すれ違いざまに女子学生のつぶやきが耳に入った。
「あーあ、青春したいなぁ・・・」
その背景で、「来週から再びすべての授業がオンラインになります」という主旨の放送がかかっていた。
ようやくキャンパスに通うことができ、友達とも対面で自由なキャンパスライフがようやくスタートできると思った矢先。
がっかりしている彼女の横顔をちらっと見て、一瞬気の毒に感じた。
キャンパスにいた大勢の学生たちは総じて、友達と一緒にいられるこの限られた時間が愛おしいかのように、ほんと明るく楽しそうに振る舞っていた。
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巷のワイドショーのように、誰かを批判するつもりも、責めるつもりは微塵もない。
ただ事実として、今、ぼくたちはこれまでにない制約の中で生きているといえる。(もちろん戦時中とかは別だけど)
果たしてこの制約は、ぼくらの人生の価値をなくしていくのだろうか。
チャンスや時間をムダにしてくれているのだろうか。
そもそも制約とは、人間を苦しめるだけなのだろうか。
ぼくらは「好きなように考えていいよ」と漠然と言われてもなにも思いつかない。
「自由に思いついたことをなんでも言っていいよ」と言われても、なかなかアイデアって出ないものだ。
しかし、「3つ出そう」と言えば、意外と出る。
もっと言うなら「1分間で、◯個出そう」と数を限定されると、頭のエンジンは回り出す。
そう、人は制約がある方が実は頭が働きやすい。
あえて制約をもうけることが、アイデアを生み出すコツである。
実は「制約」とは不自由さだけでなく、チャンスも生み出すのだ。
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では自由なキャンパスライフを今までになく制限され、制約とともにある一定期間を過ごすことの「意味」とはなんだろうか。
ぼくはこの若い方々に、どうかふてくされて諦めないで欲しいと思っている。
この制約を進化のチャンスにしてほしい。
たぶんこの世代は、制約のおかげで今までよりももっとたくましく成長できるはずなのだ。
制約はアイデアの神だから。
友達と会える時間が限られているからこそ、どんな話をするかをセレクトする感性、相手を大切にする気持ちが湧いてくるだろう。
自分の時間が増えるからこそ、自分と対話する時間も増えるだろう。
ある時期にやっつけでやるような浅い自己分析とは違って、深さも厚みも違うだろう。
時代や社会の変化にも目を向けやすいだろう。
自らの学びへの集中も増すことができるだろう。
なんとなく自由すぎる時代に、フラフラとキャンパスに通って4年間終わったじぶんなんかとは比べようもないほど、今の子たちは成熟した学生、そして社会人になるだろう。
どんなピンチがあっても人間は行き詰まらない、とぼくは信じている。
行き詰まるのは、今までの考え方や価値観、習慣に執着しているときなのだ。
今ある制約を「これまでを基準にした不満」にするのではなく、新たな生き方、人との関わり方を見出すチャンスにしていけるのではないか。
そこに気づけたら、あなたの「出番」にできる。
もう一度、言う。
制約は、アイデアの神なのだ。
あなたの青春はまだまだ終わっていない。
これからです。
ぼくはそう信じています。