クライアントという呼び方をやめたい
と常々おもっているんですが、、、
わたしは、人の夢や野望を聞くのが好きです.
そして、その内容やカタチが 自分目線で 面白く感じると さらに良くて、
それが、仕事につながると、自分は ますます意欲を発揮します.
だから、その時の クライアントは、
いわば、
一緒に夢を見る人.
一緒に冒険する人.
一緒に戦う人.
一緒に覚悟を決めた人.
一緒に苦しみをわかる人.
一緒に楽しめる人.
一緒に 創造を 生み出し合える人.
であると とらえています.
なので、クライアントと、わたしは
対立したり、疑ったり、マウントしたり、
雇用したり、雇用されたりという関係では、
良い仕事、良い作品はできないと思っています.
お仕事を一緒にするになると、チームとして取り組みたくて、
お互いの専門の場所を 攻めて守って、連携して、進んで、
行く先には、
まだ 誰も見ていない 素晴らしい、興奮する景色を
一緒に見たいというのが 理想で、本望です.
と、こんな綺麗事で 仕事が回るはずはないので、
理想とするクライアントと出会うのは、本当に稀.
だけど、そこを曲げると、おかしなもの、つまらないもの、
作らなくてもよかったものを世の中に出してしまうことになる.
自分で仕事を受けるようになって、6年ほどが経ちますが、
最初は、声をかけていただける、お願いしていただけるものは
ほぼ全部お受けし、全て 気持ちと持てる力をかけて、取り組んできました.
でも、ある時、受ける前から モヤモヤする 仕事に出会いました.
それは、あるクライアントから相談をされた、
人が集まるような、町の小さな商業スペースをつくるという
プロジェクトだったのですが、
その場所の コンセプトを考えていた時に、
クライアントに、なぜ そこを、そのような場所にしたいのか?
ということを、根っこのところまで聞いたとき、
その根本の理由が、その方の利己的な理由でした.
(税金対策がどうこうとかいう理由でした..)
わたしは、初めて この仕事をお断りしました.
フリーランスでのこの職業.
もちろん、金銭的にすごく余裕があるわけではありません.
その方が人間的に嫌いだとか、そんなこともありません.
この先の関係に影響することも覚悟の上でした.
その時、改めて、自分自身がどういう仕事をしたいのかを
考えた時、仕事の内容も大事だけど、
クライアントが、「一緒に ◯◯する人」ということが
自分には 本当に必要なのだと思いました.
わたしのブランドデザインは、
クライアントの想い、気持ち、家族、人格、人生
に 真正面から真剣に 向き合うことと思っています.
だから、自分の気持ちも 相手に多く持っていかれます.
自分の人生を その相手に傾けているとも言えます.
だから、夢や野望を持っている、
覚悟ある情熱を持っている人と出会いたい.
お互いの人生を、それぞれの情熱を持って、
それぞれ 楽しみ関わりあったりしながら、、
まだ 誰も見ていない 素晴らしい、興奮する景色を
一緒に見る相手.
こんな
クライアントの呼び方、もうちょっと模索してみます..
ゴレイコ
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