出会うという感覚
茅野の母だ.
と思った.
先週金曜日は、
仕事で 朝から夜まで茅野に.
朝、新宿からあずさに乗リ、
茅野駅降りて、駅すぐのコワーキングスペース
ワークラボ八ヶ岳に入り、
打合せが終わったのは、16時半か17時くらいか.
頭の中を整理する前に、一息ついて、携帯触る、、
今日も日帰りなので、このまま、早めに あずさに乗って帰ろうか、
でもせっかく、好きな長野に来ているのに
打合せだけして帰る、、、なんだか、かなしいなぁ
と思いながら、メールの返信をしていたら、、
「今日、どこから来たの?」
と、声をかけられる
「し、しんじゅくです..」
(え?この人 知り合いだったっけ? めちゃめちゃ自然に声かけるな〜)
と思ってたら、すぐさま 打合せ用に持ってきたお菓子箱を見て
「これ、すごい好き〜〜〜」
と、、、
そのあとは、あれよあれよと、共通の知人の話などが膨らみ、
オフィスに来ていてた記者の人や デザイナーさんを紹介していただいたり、
とにかく、自然に 展開がはやい 笑
他にも、今日は大学生何人かにお昼ご飯を食べさせてあげてた.とか、
この前は、登山女子3人がお茶する場所がないから、自宅でお茶した.とか、
私的炊き出し的なこともされてたりだとか、
本当に、人との隔たりというものを感じない.
(あ、久しぶりだ、この感覚.. )と思った
それは、最初に入社した CM制作会社にいた先輩.
その人もそうだった.
その人は、下についた後輩を、
会社としての後輩とは あまり見てなくて、
「今から、こんな人に会いに行くんだけど、一緒に行く?」とか
「あなたは、この人に会った方がいい」とか、
自分のまわりの人たちを、隔たりなく フラットに引き合わせていく人だった.
彼女のまわりには、本当に色んな人が出入りしていて、
だけど、「その人」という共通のことで、つながり、集っていた.
まちがいなく、わたしの それからの人生や、
人とのつながり方に影響を与えた人だった
退社後、会う機会は少なくなってしまったけど、
常に、こころの中にいる.
そんな衝撃を再び感じたのが、その時出会った 茅野の母だった.
わたしは最近、デザイン以外の分野のことを
とても意識している.
それは、子供を育てる母や父である.
自分が、そうなって、気づいたことが多すぎて、
その中に、問題点や、窮屈な常識や環境が多すぎて、
自分がそこに、どう関われるかを考え始めている.
茅野の母との会話は、その考え始めたことたちを
後押ししてくれるものになるのではないかと
思う出会いだった.
帰りの あずさ出発の時間も
「ここら辺で、オススメの食べるお店ありますか?」と聞くと、
「うちで、カレー食べてく?」
と.
わたしは、すぐさま
「はい!」
彼女のご飯をいただきながら、話しながら、
普段 人に話せない本当のこころのことを
ごくごく自然に話していた.
今まで、
茅野に行く目的がなかったけど、
これからは、母に会いに 茅野に行くと思う.