「なんにも考えずに見られる映画」に救われる瞬間がある
「なんにも考えたくないなぁ」ってときがある。
仕事、人間関係、将来のこと・・考えるべきことはいっぱいあって、やるべきことも、本当はいっぱいあるんだけれど・・。
なんだかもう、今日はいいや、って。
ただただ時間の波に揺られて、流されていたい。
そうすることを許してくれ・・そんな風に思う瞬間がある。
そんな時わたしは、「少女マンガが原作のラブストーリーか、ヒーローものの映画」をよく見る。理由はシンプル。
”なんにも考えずに見られるから”。
先に断っておくが、これはディスでもなんでもない。むしろめちゃくちゃ褒めている。人生にはこういう作品が必要だ!と力説したいのである。
先ほどあげた二つのジャンルは、正直に言うと、ある程度結末が予想できる。少女マンガが原作のラブストーリーは最終的に恋が実るだろうし、ヒーローは悪を倒す・・と相場は決まっている。
そう。
そこには「分かっている」という安心感がある。
ヒロインが恋を実らせるまでには、一応いろんなハプニングが起こる。ライバルが現れたり、ヒーローがちょっとクセ強めで、なかなか恋愛に発展しなかったり・・。
ヒーローものも、一応いろいろ起こる。
でも、そのハプニングはすべて想像の範囲内。
「どういうこと!?」ってなる超展開も、見ているこっちがしんどくなる、リアルすぎるドラマもない。「分かっている範囲内」のことしか起こらない。そして、最終的には思っている通りの結末を迎えてくれる。
そのことが、とてつもなくわたしを安心させる。
ハラハラしなくていい。まるで自分のことかと思うようなリアルさに、心がえぐられることもない。その生ぬるい優しさが、疲れ切った心と体にしみ渡る。
そう。わたしは疲れている。
ただ生きているだけなのに、気づいたらとんでもなく疲れていることがある。
仕事、人間関係。
自分なりにがんばって、がんばって、がんばって。「こんなにがんばって何になるんや?」とか思いながら、それでもがんばって。でも、やってもやっても、やるべきことは尽きなくて。
現在進行形でやるべきことだけじゃなく、将来のために考えておいた方がいいことも、いっぱいあって。仕事、お金、親のこと・・。「未来のことなんか考えても分からない」って言うけど、でも、考えてないとなんか不安で。いや、考えるから不安になるのか??とかぐるぐる考えて。
SNSやテレビ。
そこらじゅうに情報が溢れている。
だれとだれが不倫しただの、交際疑惑で炎上しただの。べつに知りたくないことも、気づいたら脳みその端っこにするりと入ってきていて。
世界のこと。大変な事件のこと。大人としてちゃんと知っておかなきゃいけないことも、もちろんあって。それなりに心を痛めたりして。でもべつに「自分に何ができるわけでもないし」とか思って。そんな無責任な自分について、また考えて、考えて。思考の沼の底まで一直線・・。
そんなことを続けていると、ある時、プツンと糸が切れる。
「あ~!!もうなんも考えたくねぇぇぇ!!」
もう一人のわたしが沼の底で大暴れ。
思考停止。
いや、停止しようとして必死に暴れている。
ただただ、そこに揺らいでいたい。
ただただ、過ぎていく時間をむさぼって、流されていたい。そう思う瞬間が、唐突に訪れる。
心と体はつながっているなんて言うが、考えすぎて脳がパンクしているときは、なんだか体も重い気がしてくる・・。
だから、こたつに入って、じんわりとつま先から体中を温めて、ただただぼーっとする。でも、そこには新たな落とし穴があった。
ぼーっとしていると余計なことを考えてしまう。
心と体を休ませるためにぼーっとしていたはずなのに、気づいたら何か考えてる。
「同級生の〇〇ちゃん、二人目生まれたんかぁ・・それにくらべて自分は・・」とか、どうしようもない沼にハマっていく。
ちょっとでも隙間があると考えてしまうのが、人間という動物。
その隙間を埋めるために、「なんにも考えずに見られる映画」はちょうどよかった。
けなげなヒロインが、奮闘しながらヒーローに想いをぶつけていく。ライバルに邪魔されたり、仲間たちとの友情に涙したりしながら、最終的には結ばれてくれる。実は気弱だったり、お調子者だったりする正義のヒーローが、いろんなハプニングを乗り越えながら、最終的には悪を倒してくれる。なんとも心地良い。
「分かっている」という安心感。
隙間を埋めるのにちょうどいい、生ぬるさ。
情報過多な世の中。
現実はあまりにもやるべきこと、考えることが多すぎる気がしている。だからたまには、こういう時間があってもいいと思う。
すべてが想像の範囲内。
分かっている安心感に浸りながら。
約束されたときめきに、成功に、救われる瞬間があってもいいんじゃないかと、わたしは思う。
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