わたしたちの話をしよう
書けない日が続くと、こんな風に思ってしまう。
「なんのために書いてるんだろう?」
なんてことない日々。
そこから生まれる悩み。
モヤモヤとしていて、形にできない想い。
それらはわたしにとっては大切だけど、わざわざ人様に読んでもらうようなことではない気がした。かといって人の役に立つ情報もしらない。
それなのに、まだ「書きたい」。
「伝えたい」と思ってしまう。
これは一体なんなのか?
ただ、想いを吐き出したいから?
知識をさらけ出したいから?
それとも、人の役に立ちたいから?
思いつく限り、すべてを書き出した先にたどり着いた答えは、至極シンプルだった。
あぁ、わたしは
「だれかと繋がりたいから書いてるんだ」。
キッカケ
振り返ってみれば書き始めたキッカケは「本音を吐き出したいから」だった。それはすなわち「本音を吐き出せる人が周りにいない」というわたしの現状を表してもいた。
そう。わたしは友達が少ないのだ。
唯一「友達」と言える存在は高校の同級生くらいで、それもグループラインでたまに連絡を取り合う程度。会うのは誰かが結婚したときくらい。その結婚式だって数年に一回とかのレベル。普段から近況を伝えあっているわけでもないので、一番盛り上がる会話は「学生時代の思い出話」。まぁ思い出話ができる相手がいるだけでもありがたいのだが、とにかく「今の悩みや本音」を話し合える存在ではなかった。
それ以外で近しい存在といえば家族だ。
・・じゃあ家族に話せば?という声が聞こえてきそうだが、それはそれで難しいというかなんというか・・。だって・・ねぇ?
「家族に話せること」と「話せないこと」ってあるじゃないですか?
例えば恋愛の話は友達の方が相談しやすい、とか。家族くらい近すぎると、逆に話しにくいこともあるというか・・。
(まぁそれは各家庭で違うと思いますが。友達のような距離感の家族もいますしね・・。)
まぁそんなこんなで、友達にも家族にも話せない「本音」がたまりにたまっていたんですよね。
でも少し前まではそれでいいと思ってたんです。
むしろ「人間関係でメンタルやられるくらいなら一人の方が楽だ」とさえ思ってました。でもね、最近ふとした瞬間に叫びだしたくなるんです。
このまま「独り」だったらどうしよう?
「本音を言えない自分」のままでいいのかな?
いつか「抱えきれなくなった本音」で、心が壊れてしまうんじゃないか?って・・。
そんなときに思いついたのが「書くこと」でした。理由は本当にシンプルで。
「知らない人」のほうが、かえってなんでも話せるんじゃないかと思ったから。知らない人だらけのネットの海に垂れ流すだけなら自分にもできるんじゃないかって。それがわたしが「書くこと」を始めたキッカケでした。
わたしたちの話
孤独。寂しさ。憤り。
もうね、笑っちゃうくらい好き勝手に書いてました。
そんなある日、こんなコメントがきたんです。
「書いてくれてありがとうございます」
コメントを頂いた記事の内容も、ほんとどうしようもないものでした。どうしようもない人間の、どうしようもない悩み。こんなんだれが読むんだよ!って。それでも、そんな文章に「ありがとう」と言ってくれる人がいる。
その「ありがとうございます」の文字をしばらく見つめていると、じんわり心が温かくなって、なんだか目頭も熱くなってきて。
「あぁ、わたし一人じゃなかったんだ」って。
なんだか、ほんとに嬉しくって。
その瞬間、どうしようもないと思っていた「わたしの悩み」が、コメントをくれた「だれか」とつながった。「わたし」だけの悩みじゃなく「わたしたちの悩み」になった。そんな気がして。
孤独。寂しさ。憤り。
どうしようもない想いを抱えているのは「わたし」だけじゃない。
だったら、それを書くことで、いま読んでくれている「あなた」と繋がれる。
そしたらそれはもう、一人だけの想いじゃない。
「わたしたちの想い」だ。
書くことでつながって、「孤独なわたし」と「孤独なあなた」を救える。
もしかしたらそれが「書くことの可能性なんじゃないか」って、いっちょ前に思っちゃって。その可能性を、どうしようもなく信じたくなって。
だからわたしはまだ、書きたいんだと思う。
もしかしたら、こんなことしても無意味かもしれない。孤独な人なんて吐いて捨てるほどいるこの世の中で、わたしの悩みなんてちっぽけなものかもしれない。孤独や寂しさ。マイナスな感情をぶつけあうことは、何の生産性もない行為かもしれない。
でも、それでもいいじゃないか。
「無意味だ」と諦めて、一人きりで抱えるよりも
「あ、あなたも孤独なんですね」
「わたしもです」
そうやってそれぞれの孤独を見つめ合うほうが、よっぽど温かいと思うから。
だから、もう少しだけ。
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