平等という名の不平等


とりあえず滅びよ……

いやまぁ、平等っつったらもうこの人出すしかないんで……

ってことで今回の雑談もとい愚痴テーマは「平等」です。
最近は某SNSで男女間に亀裂が走りがちなのを見て辟易としていますが、もちろんそのへんに話題に首を突っ込むこともなく(だって怖いし)、もうちょっとプライマルなところから整理していきたい所存です。
……整理? 今まであんな記事書いてるお前にできるのか?
いやいや、負けると判ってる試合に挑むのがカッコいいんじゃないすか~

結構真剣に考えるべきテーマな気はしていますが、筆者はシリアスアレルギー持ってるんで、可能な限りシリアルにおいしく加工します。
マジメすぎると普通の人たちドン引きしちゃうんで、もうちょっとラフに考えられる機会があってもいいと思うんですよねー。
とはいえこの記事は不真面目が過ぎるんで、参考にするときは反面教師として扱ってくれよな!

実際のところ、自分が平等の中の一員だと思っている方って、世界中を探してもほぼいないと思っています。
なんでやろなぁ(すっとぼけ)
そのへんの解答というわけでもないですが、ヒントみたいなものをここで示せたらいいなーって感じです。
下手に断言しちゃうといろいろ言われちゃうからね、リスク回避は大事ダヨ。
うーん、そんな事考えなきゃいけない時点で平等からは程遠いんですわ。

不平等の発生源

不平等さんのことをGとか毒ガスみたいに言うなよ!
Gだって毒ガスだって必死に生きてるんだぞ!
余談だけど、Gがすべての頂点に立つカードゲームがあるらしい

なぜ不平等な状態が発生するのかを説明する前に、そもそも平等ってなんなん?ってお話ですが、原義に従って簡単に説明すると「みーんな一緒だよ!」ってことです。
It's 優しい世界。
死ぬときも一緒だよ……?(ハイライトなしドス黒ハート瞳)
つまり人類みんなヤンデレになればいいんですね先生!
まぁヤンデレは冗談として、何が不平等をもたらしているのかを特定して、平等な世界を目指していこうというのが本記事の趣旨です。だったらいいな(願望)そういうことにしろ(脅迫)

差別だか登別だか知らねーが

でもキャベツさんのほうがもーっと好きです!
……ごめんなキャベツ、実は俺、レタスにごまドレ派なんだ。

さて、平等と敵対する言葉として、よく「差別」が使われています。
さらにその差別とペアで語られやすいのが「区別」です。
前者は侮蔑的な意味合いを含み、後者は感情を伴わないイメージでしょうか。

言葉遊びの域を出ないという意見もあるかと思いますが、ものごとの精確な定義というのは結構重要です。
ここがブレる(=人により解釈の余地がある)と、議論の際に迷走すること必至のため、始めにきちんと認識合わせをしておくべきです。
もちろんこの雑記事で「精確な定義」なんてあるわけないけどな!
ちなみに、その認識合わせの時点で話が進まなくなるのが現実ってやつらしいです。

個人的に差別は非容認派ですが、そのへん話し出すと東京行きたいのに登別まで行ってしまいそうなので、ここでは「差別=攻撃性を伴う区別」としていったん雑にまとめます。
で、その区別さんですが、こいつがかなり厄介な存在です。
差別さんと対比させることで一見平等さんに寄り添っているように見せていますが、こいつこそがあの優しかった平等さんを狂わせた元凶になります。

少し視点を変えましょう。
人間だけでなく、知覚を持つすべての生物に適用できることですが、生きていく以上は自身を取り巻く環境中のアレコレをそれぞれ識別する必要があります。
自分と他者、同族と天敵、食べられるもの食べられないもの――そんなもろもろを、色や形や匂いetc.で「区別」します。
そうすると何が起こるかというと、「みーんな一緒だよ!」状態が崩れてしまうわけです。
あたりまえじゃん、だって一緒じゃないもんな。
……あれ? じゃあ「平等」ってコンセプトがそもそも成り立たなくね?

そうなんすよ、ぼくらが生きてる以上、平等なんて原理的に実現できないんすよ。
本気でやろうとしたら、それこそ滅びるしかないわけです。
極論と思われるかもしれませんが、みんな知っていながらも(無意識的に)目を逸らしているコレこそがすべての根源です。
(どうにもできない絶望がそこに横たわっていても、より良いあり方に向かって力強く歩いていける――とも言えます。人間さん激推しポイント!)
とはいえその結論は議論クラッシャーでしかないので、倫理哲学の研究が進んだ現代においては、仕方なく条件をつけて部分的平等の実現を探求しているという次第でありまして。
まぁそんな風に先人たちもいろいろ考えてくれてるんで、素人としてはありがたーくその教えを拝借していきまっしょい。

絶対性理論? 相対可憐チルドレン?

「絶対的平等」と「相対的平等」という概念があります。
どちらも平等とすべき対象をどのような待遇を提供するかを焦点とした考え方で、前者は「みんなに同じものをあげる」、後者は「個々の状況に合わせてあげるものを調整する」というコンセプトです。
まぁ「あげる」とか言ってる時点ですでにおかしな話ではあるんですが、先の部分的平等――弱い平等だけでも実現したい、そのために実行できる手段にはこういうものがあるよ、という感じです。

絶対的平等の好例として「死」があります。
残念ながら今のところ不老不死の生物は確認されていない(※)ので、一度生まれてしまった命は、その生で歩んだ道のりがどのようなものであれ、いつか必ず死んでしまいます。
例外もないので清々しいほどの平等です。
やっぱ滅びるしかないんか……?
※一般に「不老不死」と言われて想像されるレベルの生物はいない、という意味です。ちゃんと注釈しとかないと某クラゲとかで揚げ足取られかねないのがこの世界の怖いところ。生き物の可能性ってほんとすごい。

我々日本人にとっての身近なもう一例としては、消費税なんかが挙げられるでしょうか。
みなさまご存知のとおり、モノやサービスを買うときに価格に対して税額が決定されるアレです。
購入者の如何によらず設定されるため、こちらも絶対的な平等と言えます。
(そもそも買えるものの価値や量に差がある、と言われればそうなんですが、それはまた観点がズレるのでここでは無視。どんな人でも同じシチュエーションで同じ値段の商品を購入すれば同じ額の消費税になります)

税に関する話でいうと、所得税は相対的平等の考え方を取り入れた制度ですね。
所得が多いほど税率が高くなるため、税率を一定とした場合に比べて(ココ重要)、個人の所有する財産量の差が小さくなります。
こんな感じで何とかして各自のステータスを均そうとするのが相対的な平等ってやつらしいです。
ポケモンとかやってるゲーマーとしては相容れないスタンスですが……

これらの平等を享受する立場で考えてみると、絶対的平等を「平等」だと歓迎できる人はそう多くないと思います。
「区別しない≒己の存在を無視される」なので、いわゆる承認欲求を真っ向から叩き潰されている状態だからです。
彼らが平等を望む場合、それは原則として相対的平等を指すと考えていいでしょう。
なので以降、単に「平等」と書く場合は相対的平等を指すものとして扱います。
結構こいつらが混同されてるようなやり取りが目に留まるんですよねー。
どっちが正しいとか考えるより先にそこがもにょる。

――と、こんなところでここまでの話をまとめると、

  • 物事を識別する機能が生物についてる時点で、真の平等は実現できないよ!

  • だから相対的平等の考え方を使って、「平等に近い」社会を目指してるよ!

  • わぁ、人類って愚か~❤

って感じです。
よしよし、我ながら見事にまとまってないな!

俺達の平等はここにあったんだ!

というわけでここからは、平等っぽい何かを最大限実現する方向で考えてみます。
つーか資本主義やってるんだし、逆に平等目指すとマズくない? という身も蓋もない疑問もあるにはあるんですが、平等にしようとする力が働かないと不平等が際限なく発散してしまうので、終端速度的な蓋くらいはやっぱり必要じゃないっすかね。
何事もほどほどが一番です。
平等も行き過ぎると幸せから遠ざかっちまうぜ?

俺達の満足はこれからだ!

まずは何をもって平等とするかですが、「誰も不満を感じていない状態」が究極かなーと思ってます。
つまり嫉妬もShit!もない社会です。
この社会においては、例えば上司と部下などは役割としての上下関係でしかなく、本人たちは対等に横並びで歩みを進めていると認識しています。
満足感に満ち足りていることで回復薬もかなり節約でき、社畜のデスクに積み上げられたエナドリ缶の山は丘くらいにまでその背を縮めていることでしょう(なくなるとは言っていない)。
ワイもこんな職場で働きたかったんや……

不満がないということは、欲求が満たされている、次の欲求が生じていない状態を指します。
(満たされているからこそヤメローシニタクナーイな気持ちになるのもわかりますが、死こそは平等ゆえその点は呑んでいただくしかありません)
しかしこの欲求はそれこそ人それぞれであって、正反対のものがあったり、同じ人でも次の瞬間には内容が変わったりすることさえあります。
中には「平等なぞに浸かってんじゃねえええぇぇぇぇぇぇ!(CV. 若本規夫)」みたいなやべー人も出てくる可能性があり、平等のために平等を放棄せざるを得ない状況になることも……

あと、自分にはこんな欲求があるんだよ、と正直に申告してくれないケースも対処が難しいです。
でも言うのが恥ずかしいという気持ちも尊重しないといけません。
だって言えないよね、スーパーとコンビニで売ってる惣菜を全部ほうれん草の胡麻和えにしたいなんて……あっ(自爆)
冗談はともかく、例えば犯罪に手を染めたいという気持ちを胸に秘めている――秘めざるを得ない人たちも世の中には存在します。
それもまたヒトの欲求、だけど平等のためと言ってそんな欲求も解消してしまっていいのか? といったことも検討する必要がありそうです。
ちなみに許容しないのが現代社会の方針ですが、まぁ犯罪を許すと治安が終わるので当然ですかね。
社会維持のためにヒャッハー的平等を切り捨てている、とも言えるでしょう。
最初っから平等であるなら治安もいいはずなんだけどなー?

生きるということは、欲求を満たし続けるということ。
それはある意味で個が平等を目指すための行為であり、それ自体を責めることはできません。
ただ、他者と共存する社会においては、主張が衝突することで一方または双方が不利益を被るおそれがあります。
そのため、法律などによって衝突を事前に回避/抑制したり、衝突時の調停方法を決めておいたりと、いろいろな対策が講じられています。
それがまたキュークツに感じる原因となり得るわけですが、そこでイチイチ争っているとキリがないので、結局はどこかで妥協するのが手っ取り早いという判断に落ち着くわけです。
(相手を殴って黙らせるパターンも往々にしてありますが、どこかで反撃を受けて「妥協」するのもまた歴史の一部です)
そんな妥協の塊が、今私たちが生きている社会とも言えます。

妥協、あるいは自分の欲求が叶えられなくてもよいとする「謙虚」は、ともすれば美徳と称されるわけですが、平等の観点で考えると「不平等の容認」という側面が見えてきます。
かの有名な「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの一節、ぼくも大いに共感するところではありますが、この箴言にも上記の衝突を促進させる→妥協を生じさせるという大きなリスクがあります。
前回も軽く触れた、最近流行りのポリコレやらLGBT以下略やらも、そういった意味では平等の実現を阻む概念と言えるでしょう。
実際火種になっているわけですしね(ボソッ

※この火種の原因については、多様性をグルーピングしていることにもあるわけですが、わかりやすいラベルがあるとそこに縋ってしまうのが人間です。
思想が集うとそこに宗教性が生じ、もともとあったはずの「平等を求める想い」が別のナニカへと変質してしまう――という現象が、今まさに起こっているような気がしています。

そろそろ底知れぬ絶望の淵に沈んできた感もありますが、同時に浮上へのヒントとなる光も淡く見えてきました。
逆に考えると、(相対的な)不利益を受容できる謙虚な人が増えるほど平等を実現しやすくなるということです。
不平等によって生じる差異を波形としてイメージしてみると、基準となる横軸を中心とした一定範囲を「不平等として扱わない」、つまり平坦であるとみなせば、その範囲で見かけ上の平等が完成します。
詭弁が過ぎる? いえいえ、間違いなくみなさん普段から活用しているはずのテクニックです。
なんてったって「波風立てず」に生きる処世術ですからね。

ふぅ、これで何も考えずに付けた記事タイトルを回収できたか……?

結局のところ、平等を目指すための手段は、無闇に波を荒立てない、小さい波による揺れは我慢する、事故で下振れた人は上振れた人を中心に協力して助ける、といった社会通念を各個人が徹底するに尽きるようです。
でも人間さんてば、一度上振れるとその状態を維持しようと躍起になっちゃうんですよねぇ。
その優位性を保つために下にいる人たちをそこに留めておこうとしたり、逆に下側の人が上にいる人を引きずり下ろそうとして、また争いが発生して……
やっぱり人類って愚か~❤

平等という名の傘の下に

少々余談気味になりますが。
さきほどこっそり「グルーピング」という言葉を使いましたが、実は平等を実現しようとする試みにおいて非常に重要な考え方です。
平等は人間が生み出した概念で、自然界には死という形でしか存在しません。
つまり平等は、人間が自給自足しないといけない、誰かが誰かに与えなければならないもの、ということです。

しかし人間の能力には限界があるので、一人ひとりの欲求をつぶさに聞いて回ってそれぞれ妥当な形で解消してあげる、といったことはできません。
自分のことを振り返ってみるとき、家族や友人にすら平等に接することができていない(あるいはその自信がない)という方が大半だと思います。
なのでここでも「近似」です。
似た要素を持つ人たちのグループに分けることで、人間の処理能力に適うレベルまで制御対象数を落とし込みます。
上述した所得税も、所得の幅を何段階かで設定しておいて、それぞれこの層に含まれていればこの税率、といった形で決められているわけですね。

ここで言うグルーピングとは、すなわち多様性の丸め込みです。
「された側」からすると、細かな違いを無視されることになります。
勝手に望まぬ傘の下に入れられることもあるでしょう。
あるいは、どこかの傘に入るよう強要されるパターンもあります。
よさげな傘は見つけたけど中にいるのが変な人ばっかりだった、ってことも……
前々回で愚痴った選挙なんかもグルーピングの一種で、「ちょっと気に入らないところもあるけど」「他に入れる人いないし」みたいなモヤモヤと一緒に紙切れを鉄箱に放り込んだ経験のある方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。

冒頭で触れたSNSにおける男女間の確執についても、単に性別のみで雑にグルーピングしている投稿が散見されるため、そりゃあ荒れるよなぁって思いながら見なかったフリをしています。
やっぱネット民の最重要スキルはスルーなんだなって。
SNSの弊害の一つは、他者を簡単にラベリングできて、それが当人にすぐ伝わってしまうことにあると思ってます。
必要もなく他の人を殴ってしまえる人については言わずもがなですが、そのつもりがなくても伝搬した情報が(届いた相手にとっての)攻撃性を持ってしまうこともあり、そんな様子を見ているとどうにもやりきれない気持ちになります。

ともあれ、限界までグルーピングをしようとすると「人間」でひとまとめにしてしまいそうな気さえしてきますが、これをガチで実現しようとしたのが、みなさまお馴染み『新世紀エヴァンゲリオン』のゼーレという組織です。
人類ぽかーん計画。
うんうん、群体じゃなくて一体化すれば、比較する対象がいなくなって平等だもんね。
……いや、滅亡エンドとほぼ変わんないんですわ、それ。
うーむ、シン・平等を求めようとすると最終的に似たような結論に行き着くんですなー。

あれ、平等だからオチがないや

だったらここで、オチるための穴を掘るしかねぇ!
このnoteでどデカいことやって満足しようぜ!(BANフラグ)

ぶっちゃけ、「いろいろあって今の落ち着いてない形に落ち着いてるんだよ」「良識守って楽しくデュエル!」という至極当然のことをもっともらしく書いただけな気がします。
当然すぎてみんなそのこと忘れてないすか?
今さらこんな話をしてる自分がレベル低いだけかもしれないですが……
ちょっとまだアリアハン近辺のスライム狩ってるんでしばらく追いつけそうにないです(DQ3リメイクの巧妙なステマ)

書きながらちょっと思ったんですが、個体の成長度合いも対処のしようがない不平等ですよね。
老化と寿命は進化の過程で得られた機能、と言われることもあります。
変わりゆく環境に種として適応するために、どんどん新しい個体を生み出す必要があって、その分古い個体は失われていく――というわけです。
やっぱ生物のあり方自体が平等を否定してるんだなーと感じます。
そういう意味では人間さん、種の繁栄に対しては束縛としても機能してしまう平等を、社会の頭数を維持するための仕組みとして編み出して活用しているんですよね。
であれば、平等の実現レベルはその維持が継続できる程度に「妥協」してもOK、ってことになります。
(前述したとおり、むしろ過剰に平等を求めるとマズいことに……)
おそらくそのあたりのバランシングも、今はまだ不安定ではありますが、安定状態へ向かっていく途上にはあるんじゃないかなと、そう願ってやみません。

……あかんあかん、最後の枠でシリアスぶっこんでしまった。
こんなんしてたら寿命がいくらあっても足りないよ。
ん? こんな記事書いて穴掘ってるくらいなら、寿命縮めたほうが人類に貢献できるんでは……?
…………
まぁいっか、ほうれん草の胡麻和え食べよーっと(健康第一)


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