誘う人と誘われる人どちらになるべきか


この議題の背景

昨今、コロナ禍やリモートワークにより、人と同士のコミュニーケーション不足が問題視されている。
私自身、コミュニーケーション不足は、仕事面人生面で問題だと感じている。
周りの友達に聞いても、そういう場が少なくなって寂しいという声をよく耳にする。
私はそのような声を聞いて、会社内で懇親会を開いたり、計画を立てて友達と出掛けていたりする。
だが、そのようなことをしている時にふとこんなことを思う。
「ぶっちゃけ、オレ損してねぇ?」
スケジュール調整、人数確認、店選びから予約、遊びなら、どこにいくか何をするか考える。圧倒的に工数がかかっているのだ。
だからと言って、飯代を請求したら人外扱いされる。また自分自身もそのような恩着せがましくするために誘っているわけではない。
しかし、明らかに誘う側に負担がかかりすぎている。
そのような負担の大きさは、誘われる人はあまり考えない。なぜなら、誘われる人は、基本的にいつも誘われて生きているからだ。
故に、誘ってもらったことに対して、特に何も思わない。なんなら誘って来た相手に対してむしろ付き合ってあげてるんだから感謝して欲しいと思っている。

そこで、誘う側にあるジレンマが発生してしまうのだ。
そのような心のモヤモヤを抱えている時の気づきをここに残す。

誘う人のジレンマ

誘う人の特徴として、実行力があり、活発な人間関係を求める人が多い気がする。そのため、何かやりたいことがあれば、周りの友達に連絡をとり、計画する。だが、そのようなことをしていると、コミュニティーの中で、誘う側のポジションに固定されてしまう。

そうなると、企画するのはいつも自分、楽しい場を作りたいが、工数がかかる。俺って損してねぇ?という状態になるのだ。
だったら企画しなければいいのでは?という意見があるが、
この意見はまさに、今まで誘われて生きてきた人の意見だろうと思われる。
誘われる側が、今ままで楽しいコミュニティーを享受してきたのは、他の誰かが、企画立案してくれたということを忘れてはならない。

しかし、確かに、誘われる側つまり自分から計画せず、誘ってもらった時に、行きたい時の場合のみ行けばいいのではないかと私も思ったことがある。
そこでどちら側になるのが最も人生の利得が大きのか考えてみた。

誘うとは主体的ということ

人生選択肢はあなたにしか決めることができない

私は、誘う側になることが最も利得が高く最強だと結論づけた。
なぜなら、この世は、希少性は価値が高いという普遍の原理に基づいており、誘う側はこの世の中において希少だからだ。

周りを見て欲しい、誘う人と誘われる人どちらが少ないか、答えはおそらく、誘う側だと思う。
なぜか、それは計画して周りを巻き込んで実行する力は誰もができるわけではないからだ。いや正確には、やろうと思えばできるが、めんどくさい、または、内向的性格が理由でやらないのだ。
社会ではこのような周りを巻き込んで実行する能力は重宝される。
人生面と社会面で評価する。
人生面
・能動的だからチャンスを掴みやすい
・他の人に巻き込まれて無駄な時間を過ごさなくて済む
・企画力実行力がつく
社会面
・人の交流を活発化させる
・周りをまとめて計画を実行してくれる
・リーダの立場になりやすい

上記のような力は誘う側に回ることで獲得できる能力や利得だ。このような能力を持っている人は、社会から必要とされ自分で人生を切り開くことができると思っている。

だから、誘う人は、このような利得を得れると考えながら、誘う側に立っててほしい。誘う時は損なんて思わずこのような利得が獲得できる考えることで少しでもモヤモヤが晴らすことが出来るのではないだろうか。

今回このような誘う側のジレンマが起きている理由として、企画するという価値を、誘う側も誘われる側も理解しきれてなかったのではないかと思った。
どちら側も理解することで誘われる側から誘う側に周り、誘う側も誘うことによる価値を理解しすることでお互い気持ちよく人生を豊かに出来ると思った。





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