ごまおにぎり

生まれは青森県十和田市です。田んぼの真ん中で育ったので空が広いところが好きです。現在は…

ごまおにぎり

生まれは青森県十和田市です。田んぼの真ん中で育ったので空が広いところが好きです。現在は和歌山市在住。

最近の記事

雷鳴に空がビリビリ引き裂かれ

「雷鳴や頭に落ちた!と首すくめ」 ちょうどそのときスーパーで焼き鳥のレバーを二本買っていたもので、 「稲光焼き鳥レバーをつらぬいて」という句が浮かんできました。

    • 自分の心に井戸を掘る

      僕は中学生の頃まで家に井戸があり、井戸水を飲んで暮らしていました。ギコギコとバケツに水を汲んで、家の中の水がめまでエッチラオッチラ運ぶのは僕の役目でしたが、けっこう水って重たいものです。 だけど飲用のための水は毎日汲んで運ばないといけません。これって今にして思うと、井戸を掘ったり、水を汲む努力は毎日積み重ねていくべきもの、死ぬまで続けていくもののような気がします。 水道みたいに蛇口をひねりさえすればジャーと勢いよく水が出るのは楽しすぎ。 そして井戸を掘るイメージとして、僕の場

      • 瞬きをするまに消えし夕陽かな

        俳句の季語として「つるべ落とし」が出てきました。 「お日様がつるべ落としで大津波」海にドッポーンと落ちる夕陽を見てみたい。数秒後どひゃあーっと大津波が。 「幸不幸つるべ落としでやって来て」「人の逝くつるべ落としのごとくかな」いきなり思いもかけずにやってくるものってありますよね。

        • 柿くえば子規にあやかり句が浮かび

          「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」 という有名な正岡子規の俳句があるけれど、あの句が有名過ぎて、柿を食うたびに法隆寺の鐘がご~んと聞こえて来るのを期待してしまう。お坊さんも期待されているのを自覚して、誰かが柿を食べたら「あ、鐘つかなきゃ」と思ってしまう。 「法隆寺柿にせかされ鐘鳴らす」というわけだ。しかし、柿を食う。すかさず鐘が鳴ると、その逆もありで、鐘が鳴るとすかさず柿が食いたくなるという、パブロフの条件反射の実験にもなりうるわけだ。

        雷鳴に空がビリビリ引き裂かれ

          俳句など猫パンチ二発でふっとぶぜ

          俳句というものはなんとも他愛ないもので、屁のツッパリにもなりゃしません。単なる言葉遊びに堕してしまうと虚しいものですが、うまく心を表現出来る句が浮かぶとそこはかとない満足感があり、なかなかやめられません。想像力の鍛錬にもなり、「猫ならどんな俳句を詠むのかなぁ」などと考えてしまいます。「いわし雲一匹落ちてこないかニャン」とか(笑)

          俳句など猫パンチ二発でふっとぶぜ

          鶏頭の波状攻撃おそろしや

          鶏頭という花、鶏のとさかに似ているだけあって、どうにも気味が悪い。コッコ、コッコと鳴きながら迫ってきたら走って逃げるぞ。せめて毎朝、卵でも産んでくれたらいいのだが。鶏頭という花、とさかだけでよかった。これでくちばしがついていた日にゃあ、夜明けにコケコッコーと一斉に鳴き始めてうるさくてたまらないだろう。

          鶏頭の波状攻撃おそろしや

          旅の恥はかき揚げ

          「旅の恥はかき揚げだっけ秋の昼」という俳句を思いついたわけだが、くだらなくも面白い。数人の読者は「はまる」と笑ってくれた。もちろん「くっだらねー」と思った人も多いだろう。 続けて「かき揚げを頭にのせて旅ガラス」という句も浮かんだが、ここまで悪乗りするのはやりすぎか。

          旅の恥はかき揚げ

          人はお茶碗

          秋の朝、ふと思った。人は誰でも意識するしないに関わらず、陶工がお茶碗を作るように自分自身を形作っている。問題はそのお茶碗の名前、つまり銘だ。「初花」とか「不知火」とかいろんな名前がつけられるけれど、自分という茶碗に、自分はなんという銘をつけるだろうか? 「叡知」とか「微笑み」などの銘がつくならいいけれど「愚痴」とか「偏屈」などの銘がついたりしないだろうか。 少し、このことを意識しながら日々の茶碗づくりをしたいものだ。

          ぜに亀やちょいとおゼゼを貸しとくれ

          ぜに亀やちょいとおゼゼを貸しとくれ

          俳句っていろいろと興味深いなぁ。

          俳句っていろいろと興味深いなぁ。

          芸能界のこと詳しい?

           「最近の歌謡界の押しも押されもせぬ大御所って、ユーミンと中島みゆきとさだまさしの他に誰がいるかなぁ?」と従姉妹に質問したら、「サザンオールスターズの桑田啓介」と言われたので、「知らないなぁ」と答えたら、「ええっ!?桑田啓介を知らない人が存在していたなんて、私の人生で初めて聞いたわ」と呆れられました。 桑田啓介を知らないことって、そんなに呆れるほどのことなのかと、その話をインスタに載せてみたところ、なんと見知らぬ人ばかりから一日で30件以上もイイネがつきました。どうやら、桑田

          芸能界のこと詳しい?

          ど忘れ

          「ど忘れ」することって誰にでもあれますよね。  先日、家で二階からトントンと階段を降りてきて、一階に来たものの「うん? 何しに降りてきたんだっけ」状態になってしまいました。「うーん、思い出せないということは、どうせ大したことじゃないだろうから、ま、いっか」と仕方なく、Uターンして二階に戻ったら、戻った途端に用件を思い出しました(笑) 「柿でも食べたいな」と思って降りてきたのですが、一階のテーブルの上のミカンを見た瞬間に忘れてしまったようです。(こういう時に、「二兎を追う者は

          死んだらなんぼでも寝られる?

          眠りについて考えてみた。  若い頃は夜更かししてたけど、年取ってくると晩ご飯食べたらすぐ眠くなっちゃってホント困ったもんです。 「死んだらなんぼでも寝られるんだから、生きてる間は頑張ってせっせと動き回ろう!」という主義の方もいますね。人が亡くなると「ご永眠されました」と言うくらいですものね。 でも、ホントに死んだらなんぼでも寝られるかしらん? 実は「幽霊は眠らない」という言葉があるんです。あの世ではもう疲れたりしないから、眠る必要もない・・「ならば生きてる今のうちにせいぜい

          死んだらなんぼでも寝られる?

          謝罪会見には都合いい時代

          何気なくテレビを見たら、無免許で事故を起こした某都議が謝罪会見をしていた。その時、「今は、誰かに謝罪会見するには都合のいい時代だな」と感じた。だってマスクで顔が半分隠れているから。

          謝罪会見には都合いい時代

          頭がピーマン?

          家で二階からトントンと階段を降りてきて、「うん? 何しに降りてきたんだっけ」状態になってしまった。思い出せないので仕方なく、二階に戻ったらその途端に思い出した(笑) 「柿でも食べたいな」と思って降りてきたのだが、一階のテーブルの上のミカンを見た瞬間に忘れてしまったようだ。(●´∀`●) ミカンの嫉妬心による念力のせいに違いない。

          頭がピーマン?

          やさぐれる

          ふと、「やさぐれる」という言葉が浮かんだ。あまり使ったことのない言葉だけれど、どんな意味なのだろう?「野菜がぐれる?」しなびたキュウリが思い浮かんだ。それとも「優しいグレタちゃん?」それはないよね(笑) 調べてみたらいずれとも違った。もともとは「家出する」という意味らしく、すねて、ふてくされた状態なのだという。「鞘」をひっくり返して「やさ」それにぐれるをくっつけた言葉だ。 なんかちょっとかっこいいな。今度どこかで使ってみよう(笑)