隣人を愛すること
ひとまず、母が子を愛するのは自然、或いは自明なことか?ということから考える。
A 他者からの贈与と他者への贈与が一つのことであるような生を考えてみる。(母−子)
B 他者のための生産が自己のための生産に帰結するような行為を考えてみる。(分業)
C もっと抽象的に母から一方的に愛を受けていた子が、母として一方的に子に愛を与えるようになるという反転を考えてみる。(成長)
Aは、母が子を育てなければ子の生自体がありえないという完全依存の段階
AからBの間にはCという反転が起きていると考えてよい。そこで起きたことは 自分自身を他者の欲望の対象として生きるということである。
他者の欲望の対象であることを私は望んでいる、つまり他者の欲望と私の欲望がこの瞬間一致し、主語の入れ替えが可能となるのである。
つまり母である私は、我が子がそれだけが自らの生の支えであるところの愛を自明のものとして子を愛するのである。
松本卓也「水平方向の精神病理学に向けて」,『atプラス』30号,2016年11月よりイルゼの症例についての記述
「イルゼは、幼少期から父親に対して熱狂的な愛情をもち、彼を偶像的に崇拝・・しかし、彼女の父は母に対し日常的に家庭内暴力を働いており、イルゼはそのことに反感を持つようになる。父親に対する愛情と反抗というこの解決不可能な矛盾が、イルゼの生を不調和状態に陥らせ、彼女は世界のなかに自然に逗留することができず、「自然な経験の非一貫性」に苦しむようになった。そしてイルゼは、この不調和状態を「燃えさかるかまどのな中へ右手をつっこむことによって一挙に解決する」という賭けを企てる。」
「最後に出現した解決、それは愛、浄化、抵抗などの問題を、手段や目的を明確に意識した困難で気長な「心理学的」な仕事という軌道にのせてやる、ひとことでいえば、実践の世界へ移してやるという解決である。そしてわれわれはこういう解決法のみを「健全」だと称する。人間仲間に向かって差し伸べられたこの救いと労働の用意にあっては、汝と共同世界とはついに宥和し、汝と沈鬱な世界との解離は消え失せ、この抵抗も、もはや苛酷さ、冷酷さ、軽侮、嘲笑などとしてではなく仕事の対象であり仕事により克服しうる「隣人」の悩みとして現れる。(Binswanger『精神分裂病』,1957,邦訳第1巻51頁)」
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