人狼の(非公式な)「用語」について思うこと
「人狼ゲームは怖い」の大観
いわゆる人狼ゲームには「怖い」「入りづらい」というイメージがある
その要因は「多対多ゲーム一般に当てはまる要因」と「人狼特有の要因」に分けられる
一般的な要因
「多対多ゲーム一般に当てはまる原因」とは、要は「自分が足を引っ張るのではないか」「ゲームを破綻させてしまうのではないか」といったタイプの不安である
これは例えばサッカーのようなフィジカルスポーツでも、スプラトゥーンやLeague of Legendsのような競技性の高いビデオゲームでも発生する、チーム戦という構造から生まれる避けようが無い不安である
特有の要因とその無意味さ
一方「人狼特有の原因」としては「"セオリー"の押し付け」や「用語」が挙げられる。ここでは「用語」を中心に取り上げる
人狼にはCO、白進行、GJ、グレラン……と様々な用語がある
しかしこれらは当前ながらゲーム公式の用語ではない
「汝は人狼なりや」から派生した作品は無数にあるが、ほとんどの作品でこういった用語は定義されておらず、ユーザーコミュニティが勝手に言い始めただけの用語である
この手の話題で
「人狼は用語が分からなくて…」
「やってればすぐに慣れますよ!」
「分からない言葉は教えます!」
なんてやり取りはよくあるが、そもそも公式でも何でもない用語を覚える義理は無い一見親切なようでいて、実は新規プレイヤーに不要な負担を押し付けているだけと言える
もちろん覚える「メリット」はあって、独自用語を共有すればコミュニケーションはスムーズになるし、調べ物をしたい時にも広く使われてる用語を知っていれば調べやすい
更に事前に何もかも詳しく知りたいタイプのプレイヤーなら、典型的な戦略やよくある状況について知る為の辞典としても機能するだろう。入門時、ワクワクしながら読み漁ったプレイヤーも多いはず
しかし「とりあえず遊んでみたい」だけのプレイヤーにはそんなもの必要無い。なのに「人狼初心者の方の為の用語ガイド^^」といった、一見親切なようでその実無意味に遊び始めるコストを上げる行為が蔓延した結果の「ハードルの高さ」が生まれている
公式ルールや公式用語を覚える事は、ゲームを始める為に最低限支払わなければならないコストである。その点で人狼派生作品はむしろシンプルなルールが多くて本来は「始めやすい」ゲームなはずなのに、そこへコアユーザーがまるで我が物のように「覚えなければいけない事」を付け足してコストを増やしている
「特有の要因」が生まれる理由
ではどうしてそうなっているかと言うと、人狼ゲームが「チーム戦」である事に加えて「言語コミュニケーションゲーム」である事との関連が大きいだろう
ユーザーコミュニティが独自に用語を作り始めるのはどんなゲームでも発生する現象で、人狼特有ではない。しかし他のゲームは言語コミュニケーション以外のウェイトが大きいので、趣味として遊ぶ場(特に入門者がいる場)でいきなり非公式用語が飛び交う事は稀だ
一方言語コミュニケーション主体の人狼ゲームでは、コアプレイヤーは入門者がいようがいまいが普段通りの用語を使って遊びたいので「初心者はまずこれ覚えてね」「覚えてなくても自分達は使うね」が発生してしまう
つまりこれは(本人達は自覚が無いだろうが)「自分達コアプレイヤーと遊びたければまず自分達が普段使ってる非公式な用語を覚えてね」という圧力であり、これが「人狼は怖い」=「コア人狼プレイヤーとは一緒に遊びたくない」の一因と言える
ここで「いやでも○○って言いたい時に困るじゃん!」って反感覚えたなら、本当に一般的な言葉で言い表わせないのかゆっくり考えてみて欲しい
考えれば出てくるなら、本来自分が支払うべきコストを初心者に押し付けているだけである
更には「隠語を共有すると仲間意識が生まれる」という隠語一般に当てはまる動機もあるだろうけどここでは掘り下げない
そもそも"用語"は必要か?
用語を使う「メリット」は既に述べた通り
ところで、人狼ゲームの「競技性」(プレイヤーの技量が確実に勝敗に影響するゲーム性)は高くはなく、あくまでパーティーゲームである
もちろん「競技性」と「面白さ」は全く別。あくまで分類の話
人狼には論理パズル的な側面もあるが、それ以上に心理戦や運の要素の方が大きい
「占い・投票・襲撃結果による推理」「"ライン"」「"対抗"の状況」等はどれも「全員がセオリー通り動く」「"騙り"や"対抗"は必ずそのコミュニティにおける『常識』通り行われる」等の限定的な仮定でしか成立しなかったり、結局は何とでも言えてしまう確率的な推量でしかなかったりする(イコール無意味という話ではない)
プレイ人口に比して「競技大会」シーンの規模の小ささはその1つの証左と言える。プレイするコミュニティに依存しない純粋な「上手さ」のウェイトが小さいゲームなので競技大会は盛り上がらない(だから人狼系の企画は"ショー"的な興行が多い)
競技性もゼロでは無いが、ビデオゲームで言えばマリオパーティぐらいの競技性で、あくまでパーティゲームの範疇である
そんな類のゲームで、ストイックにコミュニケーションの効率を追求する必要は果たしてあるだろうか?
むしろそうした見かけ上の競技らしさを追求してドライにする事で、言い換えれば「無粋」な言葉を散りばめる事で、人狼ゲームが本来持つ「夜時間にプレイヤーの誰かが人を殺している、あるいは自分が殺されるかもしれない緊張」「人狼になって、仲間と秘密裏に共謀する背徳感と緊張感」といった持ち味が大きく削がれてしまってる
自分はアブストラクトなゲーム(チェスや囲碁、ソルナやクアルト等)を
ストイックに遊ぶのも好きだし、心理戦や運が大きく作用するゲームのフレバーを大事に遊ぶのも好きで、人狼は後者のスタイルで十分楽しめるゲームだと思うもちろん遊び方は人それぞれだから、そう遊びたい人同士が集まって遊ぶのもまた自由。ただ元からそういうゲームだったわけでは無い
(ただしここでは割愛するが、「ストイックな遊び方」の歴史は結構根深い)
新しく触れる人にも人狼のフレバーやそこから生まれる緊張感を存分に味わって欲しい。だから独自の用語を押し付けて勝手にハードルを上げたり、無粋な用語で本来の楽しさを削いだりするのは、本人が望んでいない限りやめて欲しい
その為に「初心者歓迎」を謳う場では、本当に初心者に気持ち良くプレイしてもらいたいなら最低限「非公式な用語は極力控えましょう」ぐらいのアナウンスは心がけて欲しい
まとめ
「人狼用語」の大半はユーザーが勝手に言ってるだけの非公式用語
非公式用語を入門者に覚えさせようとするのはコアプレイヤーの怠慢
「初心者歓迎」の場で非公式用語を使うのは初心者にとって迷惑行為!
補遺
もちろん「用語」の存在自体を否定する意図は無く、使いたい人間だけが集まってる場で使う事に何ら異論は無い
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