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「完全看護」の功罪
今日は、日本における「完全看護」つまり、付き添いを必要とせずに看護師が全て必要な看護を提供する制度ということです。これが日本で完成したのが1997年と言われています。
今では想像もできないかもしれませんが、以前は病棟に家族が付き添っていないと、十分な看護ができない時代があったんです。
でも、看護師不足の続くタイやスペインを訪問した際に、家族のかたが看護師と一緒になってケアを行なっている様子を見ました。
このことから私が考えたことを今日はお話ししたいと思います。
本日のメッセージ
完全看護でも、家族がケアに参加できる機会をつくる方が医療者との間の壁を低くして、より良い看護につながっていく
日本の完全看護
「完全看護」という言葉は、戦後できたそうです。今はこの言葉は使われておらず、「基準看護」という表現に変わっています。
簡単にいうと、入院中の患者のケアを看護師だけで行うほど看護師数を確保していない状態の時には、患者の家族にもケアに入ってもらうことが必要で、そのために付き添いが必要であった時代があったのです。
しかし、看護体制も徐々に改善され、完全看護の体制を宣言してから長い年月を経てようやく1997年に完成したそうです。
日本も昔はそういう時代があったのですね。そういえば、私が若い時に大学病院の小児科で毎日付き添っているお母さんを見たことがあります。ほぼ植物状態になった子どもの体を拭いたり洗髪をしたりしていました。
仕事を辞めて付き添うことに決めたんだと言っておられ、もう10数年毎日病院に文字通り「住んで」おられたのです。
当時は、私はこんなこともあるのかと思う程度でしたが、今から考えればとても大変な状況であったわけです。
タイとスペインの看護事情
私は、大学の仕事の関係で、タイとスペインの病院を見学することがありました。この2つの国ともに看護師不足が深刻でした。日本の昔と同じで、やはり家族が一緒に看護をしていました。
スペインの友人に聞くと、家族が参加しなければケアは成り立たないと言っていました。また、タイでも家族がいなければ、個室には入れないと言っていました。なぜならば看護師の数が少ないので、個室にまで目が届かないからです。家族に頼れない人は、大部屋に入るしかないのです。
もう一つタイで日本の昔の病院の風景を見つけました。大部屋では患者さんのベッドの間にカーテンがあっても、それを全開状態にしてあることです。
今日本では、大学病院などでも地域の中核病院でも昼間でもここのベッドの周囲のカーテンは閉められたままです。プライバシーを確保するために、当たり前のような光景になっています。
しかし、1980年代ではまだカーテンは日本でも開けられたままだったのです。これはなぜなのか。看護師が全部のベッドでカーテンを開けて見ないと患者の状態を確認できないようでは、時間がかかります。
ですから、人手が少ない昔の日本でも、今のタイのようにプライバシーよりも看護師の仕事のしやすさが優先されたのですね。
家族がケアに参加することの意義
家族がケアに参加するのは、看護師不足が原因であるのであれば、家族がケアに参加しない方が理想の形になります。
しかし、タイでの話を聞いているうちに、私は家族がケアに参加することにも意義があるように思えてきました。
家族がケアに参加することで、自分たちも医療の一端を担っているというような気持ちが芽生えているのではないかと思ったのです。
先に書いた、日本の小児科に付き添っていた母親のことをふと思い出しました。そのお母さんは大変であるとは言いながらも、どこか生き生きとして自信に満ちていました。
一方、完全看護ということになると、家族は蚊帳の外になります。私が入院している母を大学病院に見舞った時に、看護師さんは挨拶もしてくれませんし、私がいるにも関わらず、何の声掛けもせず淡々と自分の仕事をしているのを奇妙に思いました。
その態度は、「あなたは専門家でないからわからないでしょ」、とあたかも言っているようでもありました。
私は、希望する家族であれば、もっと積極的な意味でケアに参加してもらうことがあってもいいのではないかと思います。そうすれば、看護師さんとコミュニケーションももっとスムーズにいくのではないかと思います。
家族さんは大変だから私たち看護師が全部やります、あるいは専門的だから家族さんにはお任せできないから渡したたいがやりますという態度ではなく、お互いに情報交換をして一緒にケアをしていく、という態度が必要なのではないでしょうか。
タイで肩をかしてくれたおばあさん
タイでの出来事ですが、家族がケアを一緒にすることが当たり前となっているタイでは、自分の家族以外の家族にも自然と目がいくようになるみたいです。
私はタイで食中毒を起こしERに緊急入院することになりました。ストレッチャーの上に乗せられて点滴を受けました。途中でトイレに行きたくなり看護師さんを捕まえては助けを求めますが、目があっても、忙しくて誰も立ち止まってくれません。
そこで、わたしは仕方なく、自分一人でストレッチャーを降りることにしました。とても危険な行為ではありますが、致し方ありません。
しかし、それを見ていた、向かいのストレッチャーの患者の家族が慌てて走ってきて私に肩をかしてくれたのです。
私はびっくりしましたが、すぐに英語でありがとうと言って感謝の意を伝えました。通じたかどうかは分かりませんが。この時、私は、なんとなくですが、タイの人は自分たちがケアに参加できることを誇りに思っているような気がしました。とてもいいなと思ったのです。
もちろん、どこの国でも看護師不足は改善されるべきです。労働条件も改善されるべきです。
でも、それが改善されたら、人数が揃ったら、家族をケアから排除するのではなく、参加型のケアは残しておくことが必要なんじゃないかなと思いました。そうすることで、より質の高いケアが提供できるのではないかと。
ではでは