働く女性の介護体験記(2) 人工呼吸器をつけないという決断
私の母を介護した体験談を語る第2回目です。
今回は、母が心臓の手術をした後に、医師との間で起こった出来事について語ろうと思います。
1:手術が終わって
母の手術は10時間以上にわたるとても大きな手術でした。
当時83歳だった母が、この手術に耐えられる確率は5割だと言われていました。でも、すばらしい医師たちのおかげで無事に母は生還したんです。
でも、それからが大変でした。
母は、手術が終わって一度、人工呼吸器を外し、私と会話できるところまで回復していました。
その時は、母は手術の前のように、はっきりと会話ができましたし、笑顔もみられて、私は「ああ良かったな。いつもの母だ」とほっとしたんです。
でも、数日後には母の呼吸状態は悪化し、もういちど人工呼吸器をつけることになりました。
幸い、数日後にそれも回復し、人工呼吸器を外すことができたんです。
ただ、母は、1回目の時とくらべて、元気がなくなって、ぼんやりとして、どこか遠くへ行ってしまったように感じました。
私は、この時、人工呼吸器というものが、母の身体面だけでなく、精神面とか認知機能にものすごく大きな打撃になるのだとわかりました。
2:三度目の挿管の時
そんな中、またまた、母の呼吸状態が悪くなり、医師から、もう一度、人工呼吸器を装着することが必要と言われたのです。なので、挿管(そうかん)をまたしますがどうしますかと尋ねられたんです。これが3度目です。(挿管とは人工呼吸器を装着するために、喉の奥に管を挿入すること)
私は、2回目の時のように即断できなませんでした。なぜなら、2回目の人工呼吸器の装着で母はすっかり「廃人」のようにになった気がしたのです。
そこで、私は、医師に聞きました。
もし、また母が人工呼吸器をもう一度装着した場合に、その人工呼吸器が外れる可能性がどのくらいあるのか。そして外れなかった場合に母が認知症になってしまう可能性はどのくらいあるのか。
医師の答えは、人工呼吸器を外せる可能性はほぼなくて、認知症になる確率は7〜8割ということです。
ということは、ここで人工呼吸器をつける選択をすれば、母はこれから一生、話すことも自分で食べることもできない状態で生きることになります。
私は母とずっと二人で暮らしてきたので、母がそんな人生を望んでいないことはよくわかっていました。また、私も母にそんな形で生きてはほしくなかったのです。
それで、私は医師には「挿管(そうかん)はしないでください」と言いました。
でも、医師は、私のいっていることを本気とはとらえていなかったことがあとからわかるのです。
3:「お母さんを見殺しにするのですか」
その次の日くらいだったでしょうか、私がその病院のICUで母のベッドの横に付き添っている時のことです。
いきなり、主治医が他の数名の医師をつれて部屋にはいってきました。手には、挿管(そうかん)するための器具をもっています。
そして「今から挿管します」と。
私はその医師に「人工呼吸器はつけない」という意思表示を明確にしていたつもりだったので、とても驚ききました。
私は怒りに震え、強引に挿管しようとする医師たちをとどめ、その場にいた看護師にICUの管理者を呼ぶように伝えました。
そこまでする私をみて、医師達は私が、人工呼吸器を拒否していることが、ようやく本気だと、気がついたみたいです。それで、一旦作業は中止です。
おそらく多くの患者は私たちのように、反抗せずに医師の言われるとおりにしているのかもしれません。
そのために、医師はすこし驚いたのだと思います。
しばらくして、その中の一人の医師が、非難めいて口調で、私と私の姉に言ってきたんです。
「あなた方は苦しんで死んでいくお母さんを見殺しにするつもりですか?」
つまり、人工呼吸器をつけないと母は苦しみながら死ぬことになり、それを見ながら、私たちはその苦しむ母をほっとくのか、ということです。
つまり、そんな残忍な行為ができるのですか、ということです。
それに対し、私は憮然として「病人が苦しまないようにするのが、先生方の仕事ではないのですか」と反論しました。
ただ、話を聞くうちに、それは虚しい議論だとだんだんわかってきました。
なぜならば、私の母の状態で、苦しまないように鎮静剤を打てば、その副作用として心停止が起こる可能性があるそうです。そうなると鎮静剤を打った医師は「殺人」の罪に問われてしまいます。
だから、母に与えられた選択肢としては「人工呼吸器をつけて生きつづけるか」あるいは「人工呼吸器をつけずに、苦しみながら死ぬか」の二つだけだというのです。
私はさすがに、躊躇しました。母が死ぬことには覚悟ができていましたが、「苦しみながら死ぬ」ことは別問題です。
しかし、その時、後ろに立って聞いていた私の姉がその医師にきっぱりと言ったんです。
「苦しみながら死ぬことになったとしても、それは母が自分で選んだ道なので、それで結構です。だから、人工呼吸器はつけないでください。」
姉は覚悟ができていたんですね。
この姉の発言をきいて、医師はようやく私たちの本気度をしり、その決断を受け入れ、人工呼吸器の装着を諦めてくれました。
4:尊厳を保つことは簡単ではない
この後に、私は看護師のすすめで、この中の医師の一人と話し合う機会をもちました。
冷静になって、もう一度話し合おうということです。
その時に、私は医師にもう一度明確に「母は尊厳ある生き方を望んでいるので、人工呼吸器をつけてまで生きたいとは望んでいない」と言うことを伝えました。
その時、その医師は私に「なぜあなたは、お母さんが人工呼吸器をつけると、尊厳ある生き方ができないと考えるのですか」、「人工呼吸器をつけても尊厳ある生き方でできるのではないですか」と聞いてきました。
私は、尊厳に対する考え方は多様なので、「先生の尊厳ある生き方と、私の母の考える尊厳ある生き方は必ずしも同じではない」と思います言いました。
また、私の母は「会話ができない、自分で食べられない、おむつをつけて自分でトイレにもいけない」ような人生を「尊厳ある」とは捉えていないといいました。
また、私は逆に医師に尋ねたのです、なぜ私の母も私も望んでもいないのに人工呼吸器にこだわるのか。
その時の医師の正直な答えは、言いにくそうでしたが、「僕たちとしてはお母さんに亡くなってもらっては困る」ということでした。
理由は、せっかくの大手術をして命が助かったのに、ここで人工呼吸器をつけずに、亡くなったしまったら、手術をした自分達の努力は無駄になってしまう、ということのようでした。
手術をした後に、すぐ死なれてしまっては、先生方の手術は「成功」とは言えなくなってしまいますよね。
きっと、大学病院で手術をうけるとう選択をしたのであれば、延命することが前提と考えられていると思います。
だから、大学病院にいったら前向きに「治療に協力する」ことがあたりまえで、私たちのように拒否するという選択肢はありえないのであろうと思います。
結果として、予想に反して母は人工呼吸器をつけなくても、苦しみながら死ぬことはありませんでした。
それどころか、3年間も生きることができ、自分の足であるき、自分で食事をして、直前まで母の希望ある生き方はできたと思います。
母を助けてくださった、先生方には本当に感謝しています。
でも、この3年間は、私と私の姉が自分達の意志を貫きとおさなければ得られなかったと思っています。
とうことです。
ではでは。