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私の留学体験記(5) 指導教授とよい関係を維持するには
私の留学体験記シリーズの5回目です。今回は、「指導教授と良い関係を維持するには」というテーマでお話しします。
1.指導教授とは
大学院では、学生には一人一人に指導教授がつきます。ほとんどの場合には、入学する前に教授と研究テーマを話合って決めます。
修士課程であれば最低2年、博士課程であれば、3年から5年はその教授と一緒に研究を続けることになります。
ですから、指導教授と良い関係を維持していくことは大切です。しかし、意外とこれが難しいのです。
例にもれず、私も指導教授との間にトラブルがありました。
私の失敗談を通し、異国の地で教授との関係の維持するために日本人として気をつけた方がいいことについて、お話しします。
2.レポートを読んでくれない
関係悪化につながるトラブルの発端は、教授が私が事前に提出したレポートを、毎回全く読んでいなかったことです。
大学全体のルールとして学生は教授から指導をうける場合には、レポートは2週間前までに提出するとあります。
私はこのルールをいつも守り、2週間前までにメールに添付して教授に送っていました。
そして、アポをとって研究室へ伺いレポートに対するコメントや修正箇所を聞こうと思っていました。
ところが、私の指導教授は事前に読んでいたことは全くなく、いつも当日私と会ってから「ああ、今から読むわ」とレポートを読み始めるのです。
そんなことですから、教授から十分なコメントはもらえません。指導時間は30分程度ですから、いつも最初の2、3ページにコメントをもらって終わりです。
レポートや論文はほとんど10ページを超えていましたから、ほとんどの場合に多くのパートには目も通してもらえなかったということです。
私は、この教授の態度がきわめて不愉快でした。
私も日本で大学の教員を10年以上していましたから、学生が一生懸命に書いてきたレポートに対しては、事前にきちんと読んで助言をするのが教員としての最低限のマナーであると思っていたんです。
この私の教員としてのあるべき基準をもとに考えると、この私の指導教授の態度は許し難いものだったのです。
3.異国の地でひとりぼっち
このような態度に対し、私はどういう行動をとったり反応をしたのか。
最初の1年近くは、黙っていました。苦情をいいたかったのですが、教授との関係性が壊れることが不安でした。
多分日本で同じことがおこったら私は教授にきちんとクレームを言っていたと思います。
なぜカナダでできなかったのか。これには理由があります。
私の指導教授は私にとってはとても大切な人でした。なぜか。
それは、私の指導教授は、それほど留学生に対してウェルカムと思っていない大学や学部で、私に好意的であった数少ない教授の一人だったのです。
そんな教授と関係性を維持できなくなったら、つまり、この教授に見捨てられたら自分がひとりぼっちになるようで、すごく不安でした。
だから、どうしても教授との関係性は維持したいと思っていました。だから嫌なことがあってもがまんしてたんですね。
しかし、だからと言って教授から不当な扱いは受けたくない。自分の尊厳はまもりたい。これは、私にとって結構なジレンマでした。
そんな日々をすごしていましたが、ある時私は堪忍袋の尾がきれてしまいました。
研究計画書の審査会の前日のできごとです。これは院生には重要な発表会です。これに合格しないと、研究が進められないのです。
この発表の前日に教授に資料を見せていたら、突然教授が「ああ、ここは大幅に修正が必要ね」と言ってきたのです。
それは、もう私が何度も何度も教授に事前に見せていた内容でした。それも1年も前から。
ですから、発表前日という時になって、そんなコメントをしてくる教授に対して、ついに私の怒りが爆発したのです。
教授に向かって「なんでそんなこと今頃言うのですか」「なぜ事前にちゃんと言ってくれなかったのですか」と怒りを込めて言い放ちました。
そんな私に対して、最初教授は驚いた顔をしました。しかし、謝ることはなく「私はあなたが困っているなんて知らなかった」と言いました。
この時には、これ以上の口論はなく、結局関係性が悪化して崩壊するほどまでには至りませんでした。
これが私が教授に直接怒りの気持ちを伝えた最初で最後の場面でした。
この後関係が悪化することはなかったのですが、わだかまりはなんとなく残ったまますぎていきました。
4:権威のある人に完璧をもとめない
この2者の関係がうまくいかなかった責任は誰にあるのか。
ここでは、教授の責任ではなく、私自身の責任について話したいと思います。
私は、最初「自分は被害者」だと思っていました。
一生懸命学生が書いてきたレポートを読まないなんて、私の基準では考えられなかったんです。
でも、これは、私が日本人として40年間生きてきた上で身についたの日本人としてのメンタリティだったのです。
どういうことか。
日本では、教授というような社会的立場の上の人、あるいは、政府のような権威のある人を敬うように教えられてきました。
同時に、これらの人々に対して「完璧性」を求めるのです。よく国のことを「お上(かみ)」と表現すると思います。これはそのことを反映していると言えます。
ですから、日本ではこのような社会的立場の人ががちゃんとしていないとすぐにその人たちを責め立てます。
だから、これらの立場の人たちも世間から責められないようにきちんとしようするインセンティブが働きます。
でも、これは日本に独特の行動規範だったんですね。
私はこれに気が付かずに、この規範をカナダで私の指導教授との関係に適応しようとしていたんですね。
ここが大きな間違いだったんです。
カナダやアメリカでは、権威のある人たちを敬えとは教えていないと思います。また、これらの人が「完璧である」とも期待していないのです。
例えば、日本のようにカナダや米国のひとは政府を信頼していませんし、また、教授に対しても教授であるからと言って自動的な信頼は寄せていないということです。
ですから、当然これらの人たちも自分たちが「完璧」であろうとするインセンティブは働かないのです。
6:関係性は相対的なもの:一緒につくる
ではこのような社会では、私はどうするべきだったのか。
まず、カナダやアメリカでは、教授と学生の関係性は上下関係のような絶対的なものではないと言うことを知っておくべきだったんです。
イメージとしては、教授と学生が柔軟に二人で一緒にその関係を作っていくという感じでしょうか。
言い換えれば、「教育者だからこうあるべきという」あるべき論をもって教授との関係を考えるのではなく、この教授と「わたしはこういう関係を築きたい」と思い、そのためにはどうしたらいいのか、と言うように柔軟に考えるということです。
具体的に、過去の自分と教授との関係でみるとどうか。
もし私がこのことを当時理解していたら、おそらくですが、最初に教授が私のレポートを読んでいないことに気づいた段階で、もっとポジティブに反応できたと思います。
具体的には、教授に対して自分の意見を率直にいってみる、例えば「私はあなたが事前に私のレポートを読んでいることを疑問に思うのですがす」、「あなたがそうできないのはなぜかですか」、「どうしたらそれができますか」という風に会話を進めることができたと思います。
または、事前にこの箇所だけは読んでほしいとか、ここについてだけはコメントがほしいとか、もっと教授の時間を有効に使ってもらえるように配慮するということができたかもしれません。
わたしはこのように教授の考え方や思いを聞くこともなく、理解もせずに、ひたすら自分の権利だけを主張していたのです。
だからうまくいかなかったのです。
ここで、私が伝えたいのは、日本にいる時のように教授に完璧な人格を求めてはだめだということです。
教授がどう行動するかは、学生がどう期待するのかを教授に明確に伝えて交渉していくことで決まって来るということです。
だから、教授との関係が上手くいくかどうかは、教授に一方的に責任があるのではなく、学生もその構築には努力をする責任があると言うことです。
だから、留学して同じ様な場面に遭遇した場合には、自分がどうしたいのか、どういう行動を教授に期待しているのか、明確に伝えていきましょう。
それで関係が壊れることはないと思います。もし、それで壊れるようなら、それは指導教授としてはふさわしくない思います。
その時はたとえ自分の研究期間が伸びることになっても、教授を変えてもらった方がいいかなと思います。
ということです。
ではでは。