この感情に名前をつけるとしたら
本を読むつもりで行った高原は、風が強く、何もせずに車に乗り込んだ。高いところから見た景色は、綺麗だと思った。朽ちた風車がもの悲しく、涙が出そうになった。近くにいた子供は、ここに来てよかったと言っていた。半ズボンを履いていた彼は、寒くて温泉に入りたいと言っていた。とても純粋な気持ちでそんな事を思う彼を羨んだ。僕にはなにもないが、新しく買ったサンダルを履き、内心満足していた。
その時代を彩った建物の看板の色は落ち、廃墟と化していたが、それでもその場所には人は集まり、そこから見た景色に心を打たれ、飼っている犬の撮影なんかをしている。僕はそれを横目に見ながら、微笑んだのかもしれない。
そもそも溜まった水を見たくて、出かけたはずだった。風が強い上、池だと思っていた池は枯れていて、底が見えていた。数秒それを眺めた。
気が済まなかったから、車を走らせて、前に行ったことのある池に向かった。離婚したての頃に行った池だった。暑い夏の日にコンビニで買ったそばを食べた池だった。その時に何を思ったのかは覚えていない。どうせ今と同じように、なにも思わずに、適当に時間をやり過ごしただけだろう。
自分の現在地など考えもせずに、なぜここにいるのかも考えもせずに、自分が可哀そうだと思ったのだろう。可哀そうなのは、自分と関わってきた人たちであって、ただ被害妄想に駆られているだけなのは分かっている。
またなにもしない内に一日一日が過ぎていく。適当に笑った顔で誤魔化し、誰とも相容れようともせず、自分をさらけ出そうともせず、でもそれでも満足して、この時間を過ごそうとしている。
この時間に終わりは来るのだろうか。幸せだったと思うのは、昔のことばかりで、今この時間を楽しめる時はくるのだろうか。
なんとなく時が過ぎるのを待っている。ただなんとなく時が過ぎるのを待っている。このままでいいのだろうか。そう問うばかりで、まだ答えを出せずいる。あの時からずっと。