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感情の使い所
このまえ、「凪待ち」という邦画を観たが、出てきた主人公が昔の自分とほぼ被って、久しぶりになんとも言えない感情になってしまった。自分を変えるタイミングは何度もあったはずなのに、結局最後の最後になり、どうしようもなくなり、変わらなければいけなくなってから、変わることを選んでしまった部分が特に似ていた。
同じ白石和彌監督の作品をハシゴして、3作観てしまった。その日の午前中は、長野の馬曲温泉に行き、野天風呂を楽しんだ。晴天の下、心地よい風を浴びながら入る温泉は最高に気持ちがよかった。500円であんな気持ちになれるのだから、安いものだ。そのあと、ケンタッキーを買って、家に戻り、映画を観始めた。
世の中のことに、感度を持ってしまうと、自分の中からむくむくと色んな感情と批判的な現実的な意見が出てきてしまうので、極力シャットアウトしたいと思っている。飲食店の酒類提供云々に関して言えば、初めから行く側のモラルの問題だと思っていたし、複数人で飲みに行くことに関しても好意的な感情を持っていなかった。僕にとってその行動は、非常に非常識なものであった。
多様性を認めることが重要だとは思うけど、自分が納得できないことまで、認めることは難しい。かといって、その人たちの動きを制限することはできないのだから、見ないようにするしかない。それが自分の感情を守ることに繋がっている。なにもそんなことで感情を無駄使いする必要はない。
映画を観たり、温泉に入ったり、ビールを飲んだりしている時に、感情を思う存分使えばいいのだと思う。