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おねえちゃん

私には3つ年のはなれた姉がいる。
ずーっと「おねえちゃん」とよんでいる。
「おねえちゃん」
とよぶたび、思うたび、
妹としての私がいる。

姉は母の理想を現実とし、
私は母の、母の現実のまま、
となった。なってしまった。
そういう選択をそれぞれした、
ということ。

姉のことは好きだ。
多分、友だちだったら
そんなに気は合わないかもしれない。
挨拶は交わすくらいのクラスメイトかな。
姉はやさしいし、
妹の私を思いやってくれているのは
とても分かる。伝わる。

母はある日言った。
姉は陽で私は陰だと。
そう言われても、
全然どうってことない。
そうだと思う。

例えば、すごく分かりやすい話だと、
姉は「ブログはじめたの、読んでね」
と父、母、私にカラッと言える。
リンク先を送ってくれる。
私には、それができない。
父、母、姉、が
傷つくようなことは書くまい、
と思って書いてはいるけれど。
「これが私のnote」なんて言えない。
言ってしまったら、書く時に、
父、母、姉、のことがちらついて、
自由に書けなくなってしまうからこわい。
今のところこわい。

姉は今、家族でアメリカにいる。
この年末年始は一時帰国した。
いろんな用事があって、
とても忙しそうだったし、
体調も途中崩していたけれど、
充実した日々だったよう。
なかなかゆっくりしゃべる時間が
持てなかったから、羽田まで
見送ることにした。

本当は見送りなんて、
さみしくなっちゃうから、
あんまり…なんだけど、
行こうと思った。
自宅から羽田は少し遠いけれど、
空港に行きたいともずっと思っていた。

空港という場所は私にとって、
ワクワクするところでもあり、
さみしく、せつなくもある。
長年、ワクワク < さみしさ、
で来たけれど、今回の空港で
そうでもなくなったことに気づいた。
いやあ、人は変わる。
これが年を重ねる、
ということなのだろうか。

フードコートで姉家族と私と息子。
たわいもないおしゃべり。
出国審査の列がどんどん
混雑していくのが見える。
「ああ、やっぱり。
ちょっとさみしいね」
なんて、口走ってしまって、
シーンとする。
おっと、いけない。
「すごい列。
早めに行った方がいいね」
と促す。
姉と並んで歩く。
「6月くらいだったかな。
食中毒になったでしょ。
あの時期は、心細くて本当に
鬱になるかと思った」
姉がぼそっと私に言った。
姉は、日本にいる私たちが
心配するようなことはLINEで
言ったことがない。
姉なりに心配かけまい、
としているのは分かっていた。
やっと言った、と思った。
「でもさ、なんのために
アメリカに来たの?って。
そう思ってさ」と姉。
ギアというのか、
シフトというのか、
ガチャンと姉は入れ替えたのだろう。
固い決意。それが分かる。

出国審査の列に並ぶ。
「じゃ、ここで」と笑顔の義兄。
姉の手、姪の手、義兄の手、
それぞれの手を、がしっとつかむ。
私なりのエールをおくる。

展望デッキで息子と飛行機をながめた。
この息子も私の背をついに越した。

空港っていいなあ。

ひとつ気になっていることは、
姉の二重がはれていたように見えたこと。
あれは前の晩に泣いたのだろうか。