馬鹿が嫌い。自戒の念をこめて。
マンスリー・ウィークリーの不便さ
以前、日本に一時帰国で帰ったときはシェアハウスに住んでいた。
家具家電ついてるし、短期だし、長期契約不要・台所用品や消耗品とか揃えなくていいし。
マンスリーやウィークリーに住んでいた時期もあるんだけれど
包丁とかまな板、食器とかとかそれこそ、台所用洗剤とかトイレットペーパーとか、全部揃えなくてはいけないし、あと最低限の家電しかないから、いちいち全部揃えなくてはいけなかったから、大変だということに気づいた。
品性がない人たちに出会う
しかしシェアハウスの問題点があった。
ある時
住んでいたシェアハウスの他の住人たちの「ガラ」が悪いことに気づいた。
シェアハウスって言っても激安物件じゃなくて、おしゃれ地区にあるところだし、家賃も平均の一人暮らしより高いところだったから、そこまで住民の質が悪いとは思っていなかった。
例えば彼女たちは、過去の住人・他の住人の噂話悪口を毎日言っていた。職場の愚痴・大声を出す、自分は完璧だと思っているのか自分たちがルールを破っていることは気づかず、自分と友達以外の住人が少しでも汚したり自分たちが決めた暗黙のルールを破ると張り紙をしたり管理会社に通報したりする。(台所においてある私物をシェアハウス所有のものだと思われ使われ激怒するなど。名前くらい書けばいいのではと普通に思うが。)
私物をあちこちに置きっぱなし、片付けない、などしていたがそこは気づかない。とりあえず自分たち以外がルールを破っている(彼女たち基準・明文化されていないルール)というのは目につくらしい。
それに対して私は最初
リビングから放たれる大きな声とキッチン占拠や字の汚い張り紙にイライラしてた。
そして彼女たち会話から、あー人としての学もないけど、学力もないんだと気づいたりした。(大声なので丸聞こえ)
人としての「学」がない人と長い間関わっていなかった
そこでふと気がついたのが
あーなんかこの感覚、公立中学行ってたときもあったなあってこと。
公立中学だったから、「どうしてこんなに自分のことしか見えてなくて人を批判して悪口ばかり言って生きている人がいるんだろう?」みたいな層も存在していた。
例えば、その一部は友達だと言っていたのに、些細すぎるきっかけで自分の友達を仲間ハズレにしたり無視したりし、揉めたりして意味がわからなかった。
私としては理解の範疇を超えてたし、品がないなあ、タチが悪いなあ、って思っていた。
高校からは学力別だった。私のいた進学校にはそういう子の割合はほんの一部だった。大学からは、器が大きい、人としての「学」がある人に囲まれていた。高校には無意味ないじめもなかったし、無意味な悪口を言いまくる人もいなかった。
これは反抗期時期も一部関係するとは思うが、高校以降 圧倒的に出会わなかった。
その後就職しても、職場でも、海外の人間関係でもそういった類の馬鹿はいなかった。
だから久しくそういった品性に欠ける、「学」がない人とは接してこなかった。
人としての「学」と学力は一定程度比例すると思う
久しぶりに出会った「学」がない人々に私はイラついたし、本当に関わりたくなかった。自分のしていることは目にいかないのに、自分は正しいと信じて他人を攻撃している愚かさに気づかないところが「学」がないと思った。
私は、これだから、「馬鹿」とは関わりたくないなと思っていた。「馬鹿」とは話が通じなさそうだからなあ。って思っていた。
私は上記彼女たちのような「馬鹿」が嫌いであるし、人としての「学」っていうのはある程度学力に比例するのではないかと思った。
理解の範疇を超える人としての「馬鹿」は高学歴の中にはやはり少ない。(いないわけではない)から久しくそういう自己矛盾に気づかない馬鹿に接してこなかったから、これに気づかなかった。
しかし私も、私より頭の良い人にとっては「馬鹿」にカテゴライズされる
一方で私も私より頭の良い人にとっては「馬鹿」にカテゴライズされるわけで
私が出会った上記彼女たちほどの「学」のなさとは別だと信じたいが
彼らが一発でわかることが私はわからなかったりすると
彼らは「あー馬鹿と関わるのは疲れるわーめんどくさいわ、品性がないわ」と
心の中で思っているのではと思ったのである。
彼らが当然見えていること・やれることを私がしなかった場合
私が彼女たちに「馬鹿だ」と思う様に
「なんで自分の狭い視野だけで物事を判断して自分が正しいと主張しまくって、自分の愚かさに気づかないんだろう」
と思っているかもしれない。
結論
自己矛盾に気づかない馬鹿になりたくないと切に思う。
私からすると彼女たちは鬱陶しい「馬鹿」であるが
私は彼女たちを反面教師にして
「自己を冷静に客観視できる」人間になりたいと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?