ありがとうございます
僕はバスが好きだ。
電車より狭く、乗客との一体感を感じる。
時期が時期だからか、誰も喋らない。
朝の日差しの中、近付くバス停のアナウンスだけが社内に響く。
あの凪のような雰囲気がたまらない。
いつものバスに乗ると、もう何度も見たことのあるサラリーマンや老人と顔を合わせることになる。
「おはようございます!今日も素敵な空間をありがとうございます!!」
朝から知った顔を見ると挨拶したくなるけど、もちろん声には出さない、恥ずかしい。心の中で済ませる。
静かすぎて心の声でも聞こえてしまうのではないかと心配になるほど無風の空間。
他の乗客も「おはようございます。こちらこそ。」と、心の中で挨拶をし、キャッチボールが成立している思うと、朝がより素晴らしいものになる。
僕は、挨拶を済ませると、ラジオを聴くことにしている。毎朝違うラジオを聞く。イヤホンをするとパーソナリティが耳元で騒いでいた。
タイムフリーでなければ、この素晴らしさを投稿したい。
周りには誰も喋らない穏やかな時間が流れるのに、裏ではこっそりワイワイ楽しいトークを聞いているこの背徳感。
この時間もバスの醍醐味だ。
そんな素敵な時間も次のバス停で終わる。
「次は○○。次は○○。」
あぁ終わる。
バスのドアが開くと大量の小学生がなだれ込んでくる。
この時間が来ると、どんなに楽しいラジオを聞いていても様々な理由で暗い気持ちになってしまう。
大騒ぎをする。
足踏む。
人を押し退け空いた椅子を一直線に目指す。
こんなことで気持ちが逆撫でられてしまうことに落ち込む。僕には「小学生なんだから」と全てを受け入れる器すらないのか。
ラジオの音量を上げる。
この段階でかなり暗い気持ちになるが、トドメをさされるのは小学生達が一斉にバスから降りていくときだ。
「今日もありがとうございます!!!」
軽快なトーク越しに聞こえる、運転手へ向けての感謝の大合唱。毎朝圧倒されてしまう。
そうなのだ。毎朝正しい時間に、無事に目的地にたどり着けているというのは凄いことだ。本当に今日もありがとうございますだ。
小学生に言えて、僕、もとい僕らには言えない。
本当に暗い気持ちになる。
いつから公の場で感謝をすることを恥ずかしいと思うようになってしまったのだろうか。
ご飯屋でいただきますもごちそうさまも言える。
図書館で本を借りるときもありがとうございますを言える。
なぜ大勢の前になるとありがとうございますを言えなくなってしまうのか。
恥ずかしいことではない、むしろ立派なことなのに。
ラジオに熱中しているから挨拶ができないフリをするのはやめ、明日から感謝の言葉はしっかり言う。
僕はバスが好きだ。
電車より狭く、乗客との一体感を感じる。
時期が時期だからか、誰も喋らない。
朝の日差しの中、近付くバス停のアナウンスだけが社内に響く。
あの凪のような雰囲気がたまらない。
好きだからこそこれからは、その凪を終わらせるのであれば僕の「今日もありがとうございます」でありたい。
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