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『認識上手』

最近嬉しくも悲しくもない、ただ焦ってばかりの生活が続いている。
でも実際は、そんな生活の中にも嬉しいことも悲しいこともあったはずだ。単純にそれらを認識しないまま通り過ぎてしまっているだけなのだと思う。
なれるなら認識上手になりたい。

認識下手な僕は思い出が少ない。その場その場でただ"思って"いるだけで、思い出にまで昇華できていないのだろう。
書いたり喋ったりと「いっちょ認識してやるぞ」と肩を回しておかなければ、嬉しい思いも悲しい思いもすんなり忘れていってしまう。
なんて哀れ。嬉しい事くらい無条件で残っていてもいいだろう?
いつも僕の話はスッカラカンだ。

だから、こんなことがあった!あんなことがあった!と軽快にエピソードトークを繰り出す人を心から尊敬する。
楽しいエピソードトークをしてくれているところ申し訳ないが「この人は認識上手なんだなぁ。」としみじみと聞き入ってしまう。
エピソードが楽しければ楽しいほど、感動に近い感情を覚える。

僕はずっと言語化が上手い人に憧れていた。
ずっと表現力が優れていると思っていたが、認識力が優れているのだと最近気付いた。
仕入れなければ物は売れない。
表現するにしてもまずは上手く認識しなければ話は進まないのだ。
認識上手になれば言語化能力と彩りのある思い出を持つ人間になれる。
そんな理想像に近づくため、今日も認識を文字へ変換する。こんなズルズルの文章でも、理想に近付いていると思うと楽しいものだ。
認識上手な人は、一体どんな目で世界を見ているのだろう。是非取り替えてほしい。それが死神の目だとしても。

こんな文章を書いている夜は間違いなく寂しい。
認識上手でなくても簡単に認識できた。
今週末は友達と会うことにしよう。

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