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母が死んだ日、のことを書く
言葉の表出・夏合宿2020 は終わった。「空き地」といわれた「あの合宿」で書いたことは、まさに「あの合宿」でしか書けなったことにようにいまさらながら思う。3日たったいままたそんなことを思っている。
そしてそれはすでに懐かしい。
>言葉の表出・夏合宿2020で書いたこと/一部抜粋
母が死んだ日
昭和41年7月4日。
母が死んだ日のことはよく覚えている。小学4年の夏だった。
「山野くん。すぐ家に帰りなさい。」
授業中、突然教室の後ろから名前を呼ばれた。
「やっぱり。」
反射的にそんな言葉が浮かんだ。
その日の数日前。僕は親戚の叔母さんに連れられて母の病室を訪ねていた。病室の前には叔母さんの他にも母方の親戚の人たちがいた。いつもとちがう。それはあきらかだった。何かが迫っている。子供なりにそんなことを感じた。
病室に入ってベッドに横たわる母を見た途端、僕は叫んでいた。
「お母ちゃん!死んだらあかん!」
その声に叔母さんやそこに居合わせた大人たちは僕を囲んで一斉に笑った。
「なにあほなこと言うてんの。死なへん。死なへん。お母ちゃんは死なへんがな。」
ベッドにしがみつく僕を叔母さんたちは笑いながら引き剥がし病室の外へ連れ出した。
「うそや」
僕は知っていた。母の死は近い。
村のちょうど真ん中あたりの小高い山の上に僕の通う小学校はあった。
家に帰りなさいと言われた僕は急いで机のものをランドセルに放り込んで教室を出た。小学校は古い木造校舎だった。僕は木のすのこが敷かれた廊下をガタガタと音を立てながら駆け抜けた。
下駄箱の前で上履きから運動靴に履き替えると講堂の横をすり抜けて運動場に出た。運動場の東側を20mほど走ると雑木林の中につづく細く急な坂道がある。近道だ。学校の正門から帰るよりこちらの方がはるかに早い。
雑木林の中、細く急な坂道を走って駆け下りる。背中でランドセルが上下に跳ねる。しばらく走ると村の真ん中を南北に貫く大きな道に出る。そこから南へ300mほど走れば家はもうすぐだ。
小学校のある小高い山と同じぐらいの高さの丘の上に僕の家がある。家につづく坂道を駆け上がる。石垣が見える。その上が僕の家だ。
垣根の横を通って家の正面に出る。視界が広がる。白いエプロンをした近所のおばちゃんが長い箒を持って庭先を掃いていた。母の葬式の準備だった。
享年43歳。母は、まだ若かった。お腹に水が溜まる病気だと聞かされていた。実際に病院で見た母のお腹は大きく膨れていた。
母が死んだ前の年の2月。冬の日。父が死んだ。50歳だった。父は糖尿病だった。若い頃から患っていた。酒好きな人だった。父は、あまり評判のいい人間ではなかった。
父が死んでから1年と5カ月しか経っていなかった。母が死んだのは前の年に父が死んだからかも知れない。なぜかそう思った。偶然とは思えなかった。
母が死んだ日。人はいずれ死ぬものだと強く思った。白いエプロンをした近所のおばちゃんが長い箒を持って庭先を掃いているのを見たとき、僕はそう確信した。
それは誰かに教えられたものではなく揺るぎない事実だった。
人はいずれ死ぬ。 1276文字