「若者」だから問題なの? 我々は「ケア」をどう語っていくのか。
高等専修学校で教員をしていた時に生徒たちに福祉に関心を持ったきっかけについて尋ねたことがあります(アンケート取ったこともありますが、それらについて文字化する際は目的外使用になるので、ざっくりした内容に加工して書きます)
一応、論文としても刊行しています。
教育文化学会の紀要「高等専修学校及び福祉コースの選択理由に関する研究 -テキストマイニングを用いたアンケート分析を通して-」(2023)
それらを見ていると、中学校時代の職業体験で介護保険施設に行ったことで興味を持った生徒、保護者や身近な人が福祉職だった生徒に加えて、
「祖父母、兄弟姉妹の世話をしている、将来世話することを想定して、より良い関わりを学びたいから」という周りの方へのケアをきっかけに福祉に関心を持つ生徒が一定数いることがわかりました。
今、若者ケアラーが凄く問題視されていますが、言葉が一人歩きしないように意識してます。
もちろん、本来体験できることができないくらいケアに時間を割かざるを得ない若者層については社会問題として取り扱うべきです。
ただ、若い時のケア経験それ自体を否定的に語るようになると、
ケアとは大変なだけで、負担にしかならない経験として見做されてしまいます。
また、若者が問題でそれ以降の年齢層がケアすることが普通という価値意識で良いのかどうか。
子どもの保護者に背負い込ませるような言動になってしまいます。
根本的に我々の社会はケアをどのように語ろうとしているのか、ケアについて細かく考える視点が必要かと思います。
主語が大きくなってる時は気をつけたいところです。
書きながら、私自身も祖父母の病院や施設への送迎で高校や大学の授業休んだ経験を思い出しました。
今回は以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。