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汚れたパンツを再び履いて



2023年8月8日


病院の待ち時間というのは、仕方が無いものだと分かっていてもイライラしてしまう。

椅子に座って二時間経った頃、私は頭のてっぺんから足のつま先までむかむかした気持ちだった。
もしこれで、担当する医者がすごく嫌なやつで、横柄な態度なんて取られたときには怒ってしまうかもしれない!
連日の出勤の疲れや生理前なこともあったとは思うけど、それにしたって今日は、私にしては珍しいほど、とにかくプリプリと不機嫌だった。


今年に入ってからずっと下痢をしていて、ここ数ヶ月は過敏性腸症候群の薬も下痢止めも効かず、遂に仕事中にトイレに間に合わない事件が勃発した。
これはさすがにヤバいと思い、いつもの内科とは別の内科に相談すると、大きな総合病院への紹介状を渡された。で、そこに来たのが今日の話である。


結局、大腸内視鏡検査の予約と採血、検査の当日の流れの説明と当日に飲む下剤をもらうまで三時間半かかった。
ちなみに、担当してくれたお医者さんはとても丁寧で親切な人だったし、帰りの病院の受付のお姉さんも「お大事になさってくださいねー」と優しく対応してくれた。
なかなか予約が取れずかなり先になるらしいと聞いていた検査も近い日程で予約が取れたし、今日のミッションは無事完了だ。


ただ、帰り道の私は、体力も気力も0すぎた。
普段は使わないけど、そこにタクシーがあったら止めてしまうかもしれない。歩く足が重い、だるい、しんどい。

病院の最寄り駅までの道中、店もなければ人もほとんど通らない。なんだか恨めしい気持ちさえ持ちつつ疲労を背負って歩いていると、脇道に小さな銭湯を発見した。


あぁ、風呂かぁ…。

かなり古びた様子の銭湯だったし、もちろん着替えもシャンプーなんかも持ってない。
特別お風呂が好きなわけじゃないけれど、この時ばかりはざぶんと熱いお湯に浸かりたかった。
えぇい、家に帰ってもう一度風呂に入りゃいいし、変なところだったらすぐに帰ればいいのだ。

中に入ると、カウンターの中のおばちゃんが一人で切り盛りしている様子だった。
並んだ椅子にはおじいちゃんがふたり、座って新聞を読んだりテレビを見たりしている。

「あの、大人ひとり。バスタオル、大きいのと小さいのを一つずつください」
おばちゃんからロッカーの鍵を受け取ると、女湯ののれんをくぐって中へ入った。

脱衣所でそそくさ汗に濡れた服と下着を脱ぐと、すぐに風呂場に進んでいった。
中にあるお風呂は、熱めのお風呂と、少しぬるめのジャグジーのお風呂、小さな電気風呂の3つだけだった。

70代〜80代くらいのおばあちゃんが4人ほど、たまに談笑しながらそれぞれ寛いでいて、若い人は見当たらなかった。

「あんた、あそこのカフェのランチが値上がりしたんだってさー」
「えー、大してうまくもないのにそれじゃお客こなくなっちゃうんじゃないのぉ」
今は地方に住んでいるけれど、銭湯に来ると毎回、どこの地域でもおばあちゃんというのはあんまり変わらないもんだなと思う。
新宿でも、川崎でも、地方でも変わらない。ケラケラと明るく笑う彼女たちは、誰よりも強くたくましい、人類最強生物な気がしてくる。

久しぶりに入ったお湯は気持ちよかった。
きっと帰ってから家で浴槽を洗ってお湯を張る気力はなかったと思うし、肩まで浸かって目を瞑ると、心地よく身体が火照ってゆく感覚に、来てよかったかも、と思えた。

長湯が苦手な私が途中で脱衣所に涼みに戻ると、おばあちゃんたちが10円を入れて使うらしいドライヤーのコイン投入口が詰まったなんだとやんや騒いでる。
「〇〇さーん!ドライヤー使えないよー!」全裸のおばあちゃんが大きな声で呼ぶと、店のおばちゃんがすぐに飛んでくる。
「なんかこれねー、時々詰まっちゃう10円がいるのよねー」と、ゴンゴン叩いて詰まりを直すと、「きっと美人じゃないのは通してくんないのよ」と一人が言って、みんながワハハと笑っていた。

もう一度風呂場に戻ると、10分ほど、他のお客さんが誰も居なくなって、貸切状態になった時間があった。
ぬるめのお湯に半身だけ浸かって、ふぅとため息をつく。
騒がしかった空気はどこへやら、ジャグジーのお湯の跳ねる音だけが聞こえる空間で、私は久しぶりに深く呼吸ができた気がした。

気付くと、気が抜けていたのか背中が丸まっていて、近頃は姿勢の改善を心がけていた私は一瞬背筋をしゃんと伸ばしたけれど、まぁ、今日はいいか、と、また身体が楽なように首と背中を丸めて深く息を吐いた。
とてもいい心地がした。

暑くなって脱衣所に戻ると、おばあちゃんが私に気が付いて「あんた、テレビ見る?」と聞いてきた。
なんのことか分からず、えっ、と戸惑っていると、脱衣所のテレビを指さすので「あっ、いえ、見ないです」と慌てて言うと「あっそう?じゃあ、消してっちゃうね。じゃあね、お先に〜」と笑顔で手を振ってくれた。

借りたバスタオルは、濡れた身体を拭くと少しだけ臭った。けど、大して気にはならなかった。
ロッカーの中から服や下着を取り出すと、ブラジャーの胸の下のところが汗でかなり湿っていて、今日は厚手のTシャツだしまぁいいか!とそれをリュックに突っ込んで、素肌のままTシャツを着た。帰り道は、少し背中を丸めながら帰ろう。
さすがにパンツは履かなきゃマズイかな、と思ったので、汗で濡れたパンツを再び履いて、髪の毛も乾かさずに銭湯を後にした。
汚れたパンツを再び履き直すという、普通に考えたらかなり嫌な瞬間に、こんなに気分が良いことって、多分この先一度も無いだろうなと思った。

家に帰ってきて、少し涼しい部屋で涼んでから気が付いたけれど、身体の疲れもだいぶ楽になったような感じがする。でも、なにより気力をかなり持ち直した。
今日のこの選択はアタリだったようだ。ナイス、私!よく頑張った、私!
今まであんまり足を向けて来なかったけど、銭湯、良いじゃん。悪くないんじゃん。夏でも銭湯って気持ちいんだね。またぜひ行きたいなと思っている。
なんとなく、今日の夜は、よく眠れる気がする。し、私もあんな人類最強のような明るいおばあちゃんになれたら、もしなれたら、素敵だなと、思った。





ポンコツ・やよい



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