ゴッキンゲルゲル・ゴキ博士の知らんけど日記 その7:この世は捨てたものじゃない!
阪神タイガース・江夏豊、背番号28は、子ども時代からの私のヒーローだ。他にも作家の北杜夫、漫画家の手塚治虫など、何人かのヒーローがいるが、それらの中でも飛び抜けた存在。あのうなりをあげる豪速球に酔いしれた。私は高知県で生まれ育ったため、民放テレビ局は1局しかなかった。プロ野球の試合は巨人戦しか観ることができない。江夏豊の桁外れのファンで、彼の登板日は全試合関西から流れてくるわずかなラジオ電波を必死で拾った。安物ラジオの向きを変え変え、ガーピー、ガーピーとうるさい中、かすかに聞こえてくるアナウンサーの声を頼りに、江夏の活躍をドキドキしながら聞いた。当時は、中3日での先発登板に加え、リリーフもこなしたため、結構な登板数だった。それらのほぼ全てに耳を通した。つまり、いつリリーフ登板するかわからないので、夜6時頃から9時過ぎまでずっとラジオにかじりついていた。小学高学年から高校3年まで、ずっとこの調子。私の学業成績が悪くても仕方がない。受動的とは言え、あれだけ熱中できるものに出会えたことは、幸運であった。
とにかく、すごかった。オールスター9人連続奪三振、対中日戦・延長11回ノーヒット・ノーラン、おまけに自らさよならホームラン等々、偉業を挙げればきりがないが、中でも最も印象に残っているのが、1968年9月17日の巨人戦。天下の王貞治から年間奪三振新記録を奪うと宣言し、まずタイ記録を王から奪う。ここからがすごい。マンガを超えた世界が繰り広げられた。新記録も王から奪いたかった江夏は、三振を取らず、点も与えず、打順を一回りさせることにした。ピッチャーが三振しかけた時には、さすがの江夏も慌てたそうだ。山なりのボールを投げ、何とかバットに当ててもらった。そうして、一つの三振も取らず王まで回した。28歳、全盛期の王貞治は自分がターゲットとなっていることを、もちろんわかっている。鬼のような形相でバッターボックスに立つ王と仁王立ちの江夏。テレビ画面を通しても伝わってくる、鬼気迫る殺気みなぎるド迫力の「果たし合い」で、王から三振を奪った。
大谷翔平選手のスピードガン日本記録が165キロ。それと比べても格段に速かった。なので、後で述べるが、江夏さんと対談したとき「あの頃の江夏さんの豪速球は175キロを超えていた」と言うと、江夏さんは首を縦には振らなかったが、横にも振らなかった。そして、その1968年、年間奪三振401を記録し、その記録は日本どころかメジャーリーグでもまだ破られていない。とてつもない大記録をとてつもない演出で樹立した。江夏豊は私のスーパーヒーローであり、28という数字は今も私にとって特別な意味を持つ。
さて、時は流れ、京都文教大学で各界の著名人を招聘し、講演会やシンポジウムを開くことを始めた。実にさまざまな方をお招きしたのであるが、江夏さんを呼ぼうなどとは、頭の片隅をよぎったこともなかった。空想することさえできなかったということだ。同じ世界に生きている感覚がなかった。
ところが、かの2011年3月11日、わらしべ長者のような話が展開し始めた。その日、NHKスペシャルの写楽を巡る収録で、歌舞伎俳優の中村獅童さんとご一緒させていただいた。後日、獅童さんを講演にお招きした際、ご母堂様の計らいで極真会館館長・松井章圭氏を紹介していただいた。そのまた後日、氏の主催するパーティーに招かれ出席したところ、スポーツ界で名を馳せた人たちも含めとんでもない著名人の数々がいた。当時、アスリートの精神性について考えていた私は、これはよい機会だとばかりに知り合いの編集者U氏に話を持ちかけたところ、それはいけるとのってきてくださった。ただ、パーティーに参加していた方々にお声をおかけしたものの、松井章圭その人以外には断られてしまった。が、これがかえって幸いし、結果、マラソンの高橋尚子さん、スピードスケートの清水宏保さん、サッカーの釜本邦茂さんに対談のご承諾を得た。
あと一人どなたにしようか迷っていた折、ハッ、江夏豊がいるではないか、と初めて江夏豊の名前が意識にのぼった。が、連絡を取ろうと思って簡単にとれる相手ではない。詳述は避けるが実に不思議な流れで江夏さんに辿り着き、これまたご快諾を得ることができた。
そして、2015年7月15日、江夏さんとの公開対談が実現した。対談が終わった後、キャッチボールまでしていただいた。「江夏豊28」とお渡ししたボールに書いてくださったりもした。実は、江夏さんは28とは書かないことを知っていた。阪神タイガースから南海、広島、日本ハム、西部と渡り歩き、もうすでに28ではない、とお考えの江夏さんは「名球会 江夏豊」とサインなさることを知っていた。知った上でお願いしたところ、私の28への想いを感じ取ってくださったのか、書いていただけた。
江夏さんと対談するなど、考えたこともなかった。夢ですらなかった。そんなことは、生じ得ようはずもなかった。奇跡という言葉でも言い表せない。私が最も会いたいお方は、イエス・キリストなのだが、それはかなうはずもない。それと同じくらい、私には遠い遠い存在だった。それが、述べたような一連のご縁の繋がりで成就してしまった。
夢をかなえることは、簡単なことではない。ところが、夢を超えたことさえ、実現してしまうのも、この世界だと初めて知った。この世界に対する認識が変わった。
今、苦しんでいる人たち、焦りもがいている方々、死さえ考えている方々、どうか生きてください。この世は、生きてさえいれば、とんでもない「プレゼント」が待っていることもあるのだから。
でも、NHKスペシャルから声がかかるまで、私は苦難に喘いでおり、喘ぎつつも日本的精神性研究をはじめ、匍匐(ほふく)前進のごとく這いつくばって毎日毎日死ぬ想いで、それでも一ミリでも前に進もうとあがいていた。その微々たる努力を天がみていて、ご褒美をくださったのかな、とも思っている。知らんけど。
この五人との対談は著作化される予定である。が、なかなか進まない。Uさん、何卒よろしくお願いいたします。