本日「勤労感謝の日」。「命」について考える日。
ハイサイ。
神社検定壱級の五木田穣です。
本日は「勤労感謝の日」ですが、
元々は、神道の「新嘗祭」というお祭りからきています。
新嘗祭とは、天皇がその年の収穫された穀物などに、
天と地に感謝し、来年の「五穀豊穣」を祈るお祭りです。
「食べられる」ということは、
「いのちに感謝する」ことであり、
農耕社会の日本人にとって、
自然のみのりに感謝することは必然でした。
天候に左右されるわけですから、
自然への畏怖心と感謝の気持ちを持つのも必然。
日本人は自然に感謝し、自然を畏れ、自然と共に生きてきた。
「いただきます」という言葉と
「ありがとうございます」という言葉は、
これからもとても大事にしていきたい言葉です。
時代は変わって、、
五穀豊穣というよりは、勤労に感謝しようという形に変わりました。
労働することで、対価を得て、お金で食べ物を買うようになったからです
そうなると、自然への畏怖心や感謝の心が失われていくのも必然です。
まあ、歴史の流れからいうと、戦後、GHQにより神道行事を禁止された(政教分離)ことから、国家の儀式としてできなくなったわけです。
※ちなみに、勤労に感謝するというのは、労働を美徳とする価値観の押し付け、儒教の流れでもあります。ここ、洗脳されてるから要注意です。
ですが、宗教的な行事としては今も全国の神社で新嘗祭は行われ、
本日も、全国のいくつかの神社で執り行われたはずです。
本日は、食べれることに感謝する日です。
いのちあること、いのちすべてに感謝する日です。
仕事があることに感謝する日です。
6年前の今日。こんなことがありました。
「仕事」とは何か?
「仕事」とは「仕える事」である。
が、仕えるのは、誰にでもなく、自分自身にである。
また、仕事とは「志事」とも書く。
自らの「志を為す事」である。
志とは「心刺し」とも書く。
相手の心を刺すような熱い想い。共感。
そんな想いを仕事にしているでしょうか。
自らが楽しめるようなものでなければ、相手も楽しめるはずがない。
自分が楽しいから、楽しませることができる。
まずは、自分が楽しむ。楽しめることを見つける。
雇われていたとしても、あまり好きでない仕事でも、
そこから何かしらの楽しみを見出すことができる。
「働く」とは、「傍を楽する」とも書く。
誰かの役に立つこと。誰かを楽にしてあげること。
これが「はたらく」。
6年前のスタバの出来事のように、
本当に好きでやってることは、働くという感覚すらなくなっていきます。
働くということは、嫌なことではなく、楽しいことである。
楽しいから、働く。楽しんで働くことは、誰かを楽しませることになる。
働いてる感覚はなくなり、ただ楽しんでるだけ。生きてるだけ。お金を稼ぐために働くのではなく、楽しんでるだけ。自分が出来ることを世の中に還元しているだけ。その結果、対価としてお金が入ってくる。お金のために働いてるわけではないから、収入の額はほとんど気にならない。
世のため人のために働くことが、自己肯定感と貢献感を生む。
社会の役に立っているという実感が所属感を生む。
それが自分の幸せとなる。
誰かのために、傍(はた)を楽(らく)させるために、できることをやるだけ。それが使命(ミッション)。
この自分の命を何に使うか。
限りある時間をどう生かすか。
この一度限りの人生を何をして生きるか。
何をしないで生きるか。
そんな本日は、食べられることに感謝し、命あることに感謝し、大切な妻と過ごせることに感謝し、過ごしました😊
これをお読みのみなさんも、ぜひ今在る自分は、生かされている存在だということを感じ、すべてのことに感謝してみてください。
ありがとうと言葉に出して伝えてみてください✨
さて最後に、最近のお気に入りの一曲をご紹介します。
そのまんまタイトル「五穀豊穣」。沖縄民謡です。
普通にカッコいい!
ちなみに、私の名前「五木田穣」と「五穀豊穣」は似ていまして、そのまんま、自然に感謝する名前なんですよね。改めて考えれば考えるほど。
「穣」と書いて、「ゆたか」と読みますが、「豊」も「ゆたか」です。
どちらも穀物が「ゆたかにみのる」という意味を持ちます。
また、「豊」も「穣」も「みのる」とも読みます。
ゆたかにみのる。
五穀豊穣に感謝する五木田穣。
最後までお読みいただき、ありがとうございました😊
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