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「わがまま」でいい。「わがまま」とは、自分勝手に生きると言う意味ではない。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
五木田穣(ごきたゆたか)です。
なんだか、世の中、他人の目線ばっかりを気にしている人が多いような気がしましたので、その辺について、思うことを書いてみたいと思います。
嫌なものは、嫌って言っていい。
嫌なら嫌って言えばいいだけ。それだけです。
でも、勝手にあーだこーだ妄想して、言えない。
言うと嫌われるかもしれない、とか考えて、問題を複雑にしている。
嫌なら嫌って言う。(もちろん、伝え方は大事です)
それに対して、どう受け取るかは相手の問題であって、
あなたの問題ではありません。
1番大切にすべきは、自分です。
だって、自分の人生だもの。
他人に気を遣ってばっかりで、
自分を犠牲にするのはちょっと違うと思う。
あなたは、誰の人生を生きているのですか?
自分を大切にできる人は、相手も大切にできる。
ただし、「我儘(わがまま)になれ」と言っているわけではありません。
「自分勝手に生きる」ことを推奨しているわけではありません。
それでは、世の中生きづらくなってしまいます。
前提として必要な考え方は、
建設的か?非建設的か?共同体感覚があるかないか。
(アドラー心理学より)
自分を大切にするんだけど、
相手を傷つけるようなことはしないということです。
相手との関係性を保つためには、
どうすることが建設的であり、非建設的か?
関係性があるということは、
主語は、I(わたし)とYou(あなた)ではなくて、We(私たち)です。
であれば、良好な関係性を維持したい、築きたいですよね。
まず、自分を大切にする。利己を考える。
次に、相手のことを大切にする。
自分を大切にできる人は、相手も大切にすることができます。
何故ならば、自分を大切にする人は、
何をされたら嫌か、何をされたら嬉しいかがわかるから。
「利己」は、「利他」になる。
だから、自分を大切にしていいんです。
その上で、相手も大切にしてあげればいいんです。
自分を大切にする人が増えれば、世の中はよくなる。
自分も、相手も、大切にできるならば、世の中を大切にできる。
そこまでいけば、絶対に世の中は良くなると思う。
そこに争いや憎しみという感情は生まれないはずだから。
嫌われる勇気。
まず、嫌われる勇気を持ちましょう。
嫌われたっていい。
嫌なものは嫌だと言って、関係性が悪くなるような関係性なら
やめてしまえばいい。
全員に好かれることなんてありえない。
嫌われたくない。いい人と思われたい。
そんな思いが悩みを生み出し、自分を苦しめる。
嫌われたっていい。
自分を好きになってくれる人がいればそれでいい。
自分らしく生きる。自分を取り繕って生きるのは、自分の人生じゃない。
自分らしくいられない関係性なら、そんな関係性は必要ない。
あなたのことを、理解し、尊重してくれる人が、きっと存在するはずです。
無理に人に合わせなくたっていい。
合わせなくたって、合う人いますよ。
「わがまま」とは、「あるがまま」のことである。
「我がまま」に生きる。
我がままとは「あるがまま」。
本来の自分になる。自分を包み隠さず生きる。
これが「我がまま」の正しい意味。
自分に嘘をつかない。自分を大切にする。そして、相手を大切にする。
大切にするから、嘘をつかない。嫌なものは嫌って言う。
在るがまま。
「我がままに生きる」とは「どう在るか」。
在り方が良い人=人間性が良い人ということだから、
人から嫌われることもなくなっていくと思う。
結局、嫌われる勇気を正しく持つことで、嫌われることもなくなっていくのではないか。
そう思っています。
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