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「楽天的」に生きるのがいいと思う。

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

楽天的に生きています、五木田穣(ごきたゆたか)です。

あなたは、楽天的ですか?
それとも、楽観的でしょうか?
それとも、悲観的でしょうか?

「楽天的」と「楽観的」の違い

「楽天的」と「楽観的」の違いって分かりますか?

どちらもほぼ同じような意味で、
あらゆる物事に対して「悲観的」に考えません。

「楽天的」でも「楽観的」でも基本がポジティブ志向。
ネガティブな事象が起きても、悲観的な解釈にはならず、
頑張ることができるので、困難を乗り越えやすいと言えます。

違いは何かというと、
「楽天的」がすでに起こっている事象に対して楽観視することに対し、
「楽観的」は起きてない事象に対して、根拠もなく楽観視するという
ニュアンスの違いがあります。

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「楽天的」は「根拠がある」んです。
自分に自信があったり、うまくいくと信じて疑いません。
天の力(見えない力)を信じてるとも言えます。

一方で、「楽観的」な人は、
ただ状況を「楽観視」しているだけで、そこに根拠がありません

仮に困難な状況に立った時に、

「楽天的」な人は、今までの経験からうまく対処することができますが、
(うまく対処できなくても、最悪の自体にはならない)

「楽観的」な人は、自分で対処する術を持ち合わせておらず、
うまく対処することができない
可能性があります。

というのが、一般的な解釈です。

悲観的な人

悲観的な人は、
物事が思うようにならないと、すぐに失望し、諦めます。
また、 世の中や人生を、悪と苦に満ちていると考え、希望を持てません。

あらゆる物事のマイナス面ばかりが目につき、
そこにプラス面や希望を見いだすことができません。

何かネガティブな事象が起きたら、
すぐに諦め、頑張ることができないので、
困難を乗り越えることができません。

悲観的だと、人生はつらく、つまらなく、しんどいものに見えるでしょう。

でも、人生がただつらいものだとしたら、
私たちは何のために生きているのでしょうか?

たとえ、つらいことがあっても、
それはその先の明るい未来のため
ではないでしょうか。

夜があるから、朝があるし、雨があるから、晴れがある。
冬があるから、夏があるし、春もあるし、秋もある。

夜には夜の良さがあるし、雨には雨の良さがある。
朝だけが、晴れだけがいいわけではありませんよね。
春夏秋冬には、それぞれの良さがある。

物事をどう感じるかは、
その人の主観、解釈、受け取り方の違い
でしかありません。

山を登るのはしんどいですが、登り切った後の絶景がそこにはあります。

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「つらい」を知っているから、「楽しい」がわかる。
「悲しい」を知っているから、「嬉しい」がわかる。
「不満」を知っているから、「満足」がわかる。

真逆があるから、その真逆がわかる。
その立場にならないと、わからないことがある。

たとえ、あなたが悲観的でも、それはそれでいいんです。
ただ、真逆の考え方があることも知ってください。

「楽観的視点」も「悲観的視点」も、どっちの側面も必要ですから。

アドラー心理学における「楽観的」。

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アドラー心理学では「楽観的」という翻訳がされています。
元の英語を日本語訳にしているので「楽観か」「楽天か」というニュアンスの違いのズレは翻訳者によります。

おそらく、アドラーは「楽観的」ではなく「楽天的」という意味で使っていると思われますが、翻訳者は「悲観的」の対比語として「楽観的」を使ったのではないかと推察されます。

※なので、ここから使う「楽観的」という言葉は「楽天的」というニュアンスだと捉えてください。

アドラー心理学では、
「悲観的と楽観的であれば、楽観的な方が良い」
という話がでてきます。

なぜかというと、
楽観的な人は、過去を悲観することがない」からです。

「解釈」を変えれば、「過去」は変えられる。

「アドラー心理学」は「未来志向の心理学」ですが、
過去を悲観しないのは、過去は過去として受け入れ、
過去に戻ることができないことを現実として受け止めているから
です。

「過去は過去であり、起きた事象を変えることはできないが、
解釈を変えることはできる」
というのがアドラーの立場です。
(自己決定性、認知論)

人の悩みの多くは「過去の体験に基づくもの」であり、
過去の体験から、今起きている事象を解釈してしまいがち
です。

過去に縛られるほど、人生や性格(アドラー的にいうとライフスタイル)は変えることができないという思考になり、息苦しくなってしまいます。

「未来志向」になれば、「楽観的であり、楽天的であり、
人生やライフスタイルは変えることができる」

というように解釈が変わり、未来を無駄に不安がることがありません。

楽天的な生き方をしよう。

アドラーが説くのは「未来志向」です。

「過去の体験という根拠」「未来に向けての準備」をしているからこそ、
未来を肯定的に捉えることができ、行動していくことができます。

当たり前の話ですが、
根拠もなく、未来に向けての準備をしていない人は、
未来を変える力は持ち合わせておりません。

「楽天的な人は、未来を楽観できる根拠や準備をしている」から、
自分に自信があり、勇気が湧いてきて、行動することができるのです。

未来を変えるために必要なのは、過去に対する解釈を変え、
自分が進みたい未来に向けて必要な準備をしていくこと
です。

何も行動をせず、なんとかなるさは、なんともなりませんよ。

「なんくるないさ」の本当の意味

沖縄の方言(うちなーぐち)「なんくるないさ」というのがあります。
沖縄に移住して、うちなーぐちを勉強している中で知ったのですが、
この意味、「なんとかなるさ〜」的な意味と思ったら、大間違いです。

「なんくるないさ〜」の前に、もう一つ言葉があって、本来は、
「まくとぅそーけーなんくるないさ」という使い方が正しいのです。

 人として
「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」
「なんくるないさ=何とかなるさ」
という意味だそうです。

ただ楽観的な見方をしているわけではないんです。
ちゃんと努力している前提の言葉なんです。

「くじけずに、正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」
というニュアンスになるようです。

自分の力では、どうにもならなくなった時に、
目上の人や、周囲の人たちが、祈りとともにかけてあげる言葉
だそうです。

真面目に、誠実に、真摯に、一生懸命生きていれば、
「お天道様が見てくれているよ」「お天道様に恥じない生き方をしよう」
というのが、昔からの日本人の信仰であり、行動指針だったはず。

そして、真面目に、誠実に、真摯に、一生懸命生きている人が困っていれば、手助けしたくなるが人間てもんです。

「なんくるないさ」という言葉に、
沖縄の人の優しさと思いやる心が感じられます。

「なんくるないさ」は楽観的な言葉ではなくて、
沖縄の人の「楽天的」なスタンスが表れている
んですね。

自力と他力。

人は1人では生きていけない。
だから、他力も信じつつ、お世話になりつつ、自力を養っていく。

そして、「自力」をつけたら「誰かの他力」になる。
それが、アドラーが言う「共同体感覚」かなと解釈しております。

「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」
「なんくるないさ=何とかなるさ」

そんな生き方をしているから、周りの人が助けてくれる。

周りの人を、信頼している。
人生を、信頼している。
自分を、信頼している。

そんな姿勢が「楽天的な生き方」だと思います。


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